「さっき友達と会ってたんですけどね。歩いてたらいい感じの店を見つけちゃって。昼から飲んでたんですよ」
待ち合わせ場所に少し遅れてやってきた彼は、余韻をおすそわけしたいんですよ、とでもいうように、はにかみながら、そう教えてくれました。
友達の話をするときの彼は、いつも本当に嬉しそうです。
「今回、生き方について聞かせてほしいって、取材依頼をくれたじゃないですか。それで、なに話そうかって考えて。僕今日、友達の話をしにきました。」
三浦希さんは、ファッション系メディアなどで執筆や編集をしながら、モデルとしても雑誌『UOMO』をはじめ、さまざまな媒体やブランドで起用されるなど、ライター・編集者・モデルとして活動しています。
また、「服屋三浦」という名前で、Twitter上で誰かに似合う服をすすめていることも。聞くところによれば、「この人に似合う」と思えば、そのとき着ている服でもあげてしまうのだとか。
ライター、モデル、服屋三浦。彼の話を聞いていると、異なる活動の背景に、一貫して大切にしている考えがあることがわかってきました。
三浦希さんの「友達を生かし、友達のなかで生きる」生き方とは。
友達がいなかったら、自分は生きていない
-三浦さんは、ライターとモデルの仕事をしてますよね。けっこう異なる仕事な気がするんですが、どうやってすみわけてるんですか?
三浦:すみわけですね。あ、ちなみに僕今日、ぜんぜんかっこいいこと言おうとか思ってるわけじゃないんですけど。
-うん、大丈夫です(笑)。
三浦:ライターもモデルも、気持ちは一緒なんです。求めてくださる方がいるじゃないですか。文章を書いてほしいって言ってくれる方。モデルをやってほしいって言ってくれる方。その方たちが求めてくれたことに、自分ができることで精一杯応えたい。その意味で、どっちも一緒です。
-求められたことに応えることが大事だと。
三浦:そうですね、まったく。今僕が生きてるのは、本当に友達のおかげなんです。自分に仕事くれるの、ほとんど友達なんで。
-営業とかはあんまりしない?
三浦:しないですね。モデルの仕事も、ブランドをやってる友達が声をかけてくれたのがきっかけではじめたし。
『UOMO』って雑誌に出させてもらうようになったのも、下高井戸にある「BARBER SAKOTA」っていう床屋のオーナーの迫田将輝さんが、インスタに僕のことを投稿してくれて。それをたまたま 『UOMO』の副編集長の方が見てくださって、「雑誌のモデル、やってみないか」って声をかけてくれたんです。
迫田さんは友達っていうか、先輩ですけど。先輩がインスタであげてくれたことによって仕事につながったんです。友達とか先輩がいなかったら、僕は生きてないですね、本当に。
-だからこそ求められたものに応えたいと。
三浦:そうですね。求められた以上のものを返したい。そうじゃないと、僕に求めてくれる意味がなくなるんで。
憧れの先輩と母の影響で、ファッションに興味を持った
-小さい頃のことを聞きたいんですが、出身はどちらですか?
三浦:北海道の日高ってとこです。昆布と競走馬のまちですね。中学の終わりまで住んでました。
-ファッションに興味を持ったのはいつから?
三浦:小学校5年生くらいのときかな。当時中学2年生の、フミノリくんっていう、近所に住んでる先輩がいたんです。一緒に剣道やってたんですけど、フミノリくん、剣道めっちゃ強くて。
-憧れの先輩だったんですね。
三浦:はい。かっこいいなと思ってた。そのフミノリくんが、僕にナイキのエアジョーダンをくれたんですよ。「のぞむ、これ似合うよ。かっこいいよ」って。それがきっかけで、憧れてる先輩がかっこいいと思ってるファッションとか、ヒップホップとか、バスケに興味を持つようになったんですね。
-ファッションを好きになったのはフミノリくんの影響が大きいんだ。
三浦:あと、お母さんの影響もありますね。お母さん、ファッション好きだったんですよ。自分が尊敬してるお母さんと、憧れてる先輩を真似したくて、ファッションが好きになりましたね。
倉庫でバイトをしてた時期は、空っぽだった
-文章に興味を持ったのは、いつのことだったんですか?
三浦:中学のときの弁論大会がきっかけですね。僕のばあちゃんが、じいちゃんの介護をしてたんです。その姿を見て、かっこいいなぁ、ばあちゃんみたいになりたいなぁって思ってたから、そのことを書いて。そしたら、弁論大会で北海道の一位になったんですよ。
そのときに、「文章を書いて人を感動させられるんだな」と思って。いつか文章を書くことが自分の仕事になったらいいなって思うようになったんです。
-大学時代も文章を書いてたんですか?
三浦:ブログを書いたりはしてましたね。大学は札幌で、英文学科で英語をずっと勉強したんです。あと、コミュニケーションの勉強してましたね。社会言語学とか、方言についてとか。
-じゃあ、就活は文章に関わる仕事を探して。
三浦:いや、いわゆる就活はしなかったんですよね。東京の編プロに、憧れの人がいて。その人の書く文章がすごく好きで。その人みたいになりたいなって思ってたんだけど、その編プロが新卒採用をしてなかったから、就活せずに、スーツケースひとつで東京に出てきたんです。
-その編プロを受けるために。
三浦:はい。で、連絡してみたら「春には募集ないよ」って返事がきて、「えー、まじか!」と思って。でも家賃払わなきゃいけないから、とりあえず古着の通販サイトのバイトしてました。ずっと倉庫で服のサイズ測ってて。日給8000円で。
-そんな時期があったんですね。
三浦:倉庫で働いてるときは、自分が空っぽみたいな感覚だった。僕にとっては、あの頃が履歴書の空白期ですね。倉庫の仕事が価値がないと言いたいのでは決してないです。でも、当時の僕がやりたいことじゃなかったし。「もしかしたら俺、ずっとバイトしてるのかもな」って思ってました。
-今振り返るとその期間は、あんまりいい時期じゃなかったと?
三浦:いえ、あの時期をなかったことにしたいわけじゃないですね。きっと今につながってると思う。友達ができたんで、それはすごくよかったと思ってて。
-友達が。
三浦:そのときできたある友達に、当時「絶対モデルやったほうがいいよ!」っていってたんですね。そしたら彼、モデル始めて。今や海外でも活躍するモデルになってるんですよ(笑)。
今は僕、文章についてはライターの仕事がメインだけど、ファッション系の編集の仕事も続けてるのは、いつかそいつと一緒に仕事したいからなんです。今だって、普通にそいつと飲みいくことはできるけど。やっぱ、一緒に仕事をしたら楽しいべなぁって思うんですよね。
「じゃあ自分で書くわ」でフリーランスに
三浦:倉庫でバイトしながら生活してたら、夏くらいに、憧れてた人からTwitterのDMがきたんです。「編プロの仕事、あきができたよ。推薦しておこうか?」って。それで、バイトとして働かせてもらえるようになったんですよ。そこは結局、色々あってクビになっちゃったんですけど。
-クビ……(笑)。
三浦:色々あったんです、色々(笑)。だから、どうするかーと思って。そしたら、知り合いだった株式会社Waseiの鳥井弘文さんに紹介してもらった、Webメディアの制作とかコンテンツマーケティングをやってる「RIDE MEDIA&DESIGN」っていう会社の社長が、一緒にコーヒー飲んでるとき、「うちの会社においでよ」って言ってくれて。
-それで「RIDE MEDIA&DESIGN」に。
三浦:はい。それからそこでずっと編集やってたんですけど、あるときライターの方とやりとりするなかで、僕としては正直あんまりな文章だったので、「もっとこうしたらいいですよ!」って、Google ドキュメントにめちゃくちゃ書いたんですよ。理由も根拠も書きつつ。そしたら二日後に、「君とは仕事したくないです」って連絡が来て。
-おぉ…
三浦:上司から、「文章を書く人に対して、こんなこと言ったらプライドを傷つけるよ」って言われて。じゃあ自分で書くわ、と思って、フリーになったんですよ。
-フリーになって、仕事はありましたか?
三浦:それも友達のおかげでなんとか。お金なくてやばいときも、友達が仕事くれたんです。「最近なにしてんの」「仕事なくて退屈だわ」「へー、じゃあ仕事紹介するわ」みたいな感じで。今仕事もらってるの、全部友達のつながりからなんです。
会社員時代に、デザイナーとかライターとかカメラマンとかの友達が増えたんで。そういう人たちにも仕事をお願いしながらやってましたね。
-友達がくれた仕事を、友達と組んでやって、みたいな。
三浦:そうですね。まったく。
「友達」は、「10万円貸してくれ」と言われて即決できる人
-三浦さんの人生の話には「友達」がたくさん出てくるなぁ。
三浦:僕が東京に出てくるとき、新千歳空港でお父さんが「のぞむ、友達つくれよ」って言ったんですよ。その言葉を今でも大事にしてる。僕、友達がずっといい思いしてたらいいな、って思ってるだけなんです。
-いい思いっていうのは?
三浦:友達にはうまいメシ食ってほしいし、うまい酒飲んでほしい。だから、友達が仕事をくれたら期待に応えたいし、友達にお願いできる仕事があったらお願いするし。
-自分だけがいい思いをするのだと、満たされないんですか?
三浦:満たされないですね。僕の友達、一生懸命やってるんですよ。そういう友達がうまいメシ食えないのはイヤですね。金がなかったらあるやつが出せばいいし、苦しいやつがいたら楽なやつが助けてやればいいし。やったことに対して、見返りはいらないです。
-…三浦さんにとっての、「友達」ってどんな存在なのでしょう? 多くの人とは、「友達」っていう言葉が意味するものが違う気がして。
三浦:…「友達」かぁ。
…僕が友達だなって思うのは、たとえば明日、「10万円貸してくれや」って言われるじゃないですか。そしたら、「10万貸す」って即決できる相手だな。消費者金融で金借りてでも、金貸したいなって思える人が友達。それは絶対そうだ。僕もそうしてもらったから。
-三浦さん自身が。
三浦:自分が金ないとき、「お前、高円寺来いよ」って言ってくれた先輩がいるんですよ。
僕、電車乗ったんですけど、金ないから、改札通れなくて。「出れないから、改札のなかにいます」って連絡したんです。そしたら、改札の内と外を分ける柵のところあるじゃないですか。あそこで先輩が、260円くれたんですよ。
-切符代として。
三浦:はい。それで切符買って、外出て。その先輩、俺に対して「よく来たね」って言って、酒ご馳走してくれた。そんで、帰り道、「帰るわ」って言って、1000円札くれたんです。260円で帰れるのに。「あぁ、東京にもこういう先輩いるんだな」って思ったな。
-…かっこいい先輩だなぁ。
三浦:その先輩最近、「三浦君から30万貸してくれって言われたら、すぐ持ってくよ」って言ってくれたんですよ。すげぇなって思って。そしてきっと彼は、貸したことを忘れようとしてくれると思うんです。
だから自分もそうしようと思ってる。後輩と飲んだら全部出したいし、「東京に出て来ました」って地方の人がいれば、金借りててでも自分が全部出すって、本当に思ってる。
…だから俺は金稼がなきゃいけねぇんだよな。消費者金融いきたくねえから。
お父さんは、与えることができる人だった
-三浦さん、人になにかをあげちゃうじゃないですか。そのとき着てる服でも。
三浦:そうですね。服に限らず、「この人たぶん、これ好きだ」って思ったら、あげてます。
-それってなんでなんだろう?
三浦:エアジョーダンをくれたフミノリくんの影響もそうだし、お父さんの影響もあると思いますね。
-お父さん。どんな方なんですか?
三浦:ものをあげちゃう人でしたね。お父さん、昔からバイクが好きで。たとえば新品のマフラーを買うじゃないですか。友達が遊びに来て、「このマフラーめっちゃいいな」って言ったら、あげちゃうんですよ。
-え、タダで?
三浦:そう。やばかった。自分から見ても、「誰のために買ってるんだろう」って。
-だって、安くないですよね、バイクのパーツは…
三浦:安くないと思う。でも、ほしいって言われたらあげちゃうし、たぶんお金貸したりもしてたんじゃないかな。最初は僕も、なんでなんだろうって思ってましたね。自分のために買ってるわけだし。
三浦:話が飛んじゃうけど、自分が住んでた日高にも、すごい嫌な言い方なんだが、自分の家を持たずに生活してる方がいたんですよ。「とっこさん」っていう人だったんですけど。
-いわゆる、ホームレスの方。
三浦:はい。お父さんは、そんなとっこさんになんとか仕事をつくれないかなって、バイクの点検とかを頼んでたんです。
で、僕、二階の窓から二人の様子を見てたんですね。そしたら、お父さんがずっと点検してるんですよ。とっこさんは座って、しゃべってるだけ。
-とっこさんが点検してたわけじゃなかったんだ。
三浦:たぶん、体裁が必要だったんだと思う。ただお金をあげるんだったら、「ほどこし」じゃないですか。そうじゃなくて、「お仕事としてお願いしてるんだよ」っていう体裁が。
-ほどこしになってしまうと、上下関係が生まれてしまうから。
三浦:そう。それが嫌だったんだと思う。そういうお父さんの姿を見て、「自分も誰かに与えることができる人間であれたらいいな」って思うようになりましたね。
-三浦さんが誰かに服をあげたり、仕事で求められたことに応える、という気持ちがつよいことが、すごく腑に落ちるな。きっと、そのとき、三浦さんは与えているけど、与えられてもいるんですね。
三浦:まったくそうですね。見返りはいらない。友達がいい思いするのが僕も嬉しいんで。
人間対人間の付き合いを、美しいと思う
三浦:僕、人の死を美談にしようと思ってるわけじゃないですが。とっこさん、去年亡くなったんです。僕もお父さんから電話で聞かされて。
-あぁ…
三浦:お父さん、ひょうきんな人なんですね。普段真剣な話をしてくれないんです。なに言うにしてもヘラヘラしてる人。
そんなお父さんが、電話で「とっこさん亡くなったわ」って。それから20秒くらい言葉がなかった。声出して泣いてたんですね。自分、お父さんが泣いてるとこなんて見たことないし、泣いてる声を聞いたこともなかった。僕も悲しくなって、うわーと思って。
お父さんととっこさんは、金を持ってるからとか、家があるとか関係なく付き合ってた。僕はそんな、人間対人間の関係を美しいなと思う。
たぶん、お父さんにとってとっこさんは、話し相手としてすごい大切な存在だったんですよ。息子でも妻でもなく、とっこさんだから話せた話があったと思う。ずっと友達だったと思うんだ。
きっとお父さんは、ずっととっこさんのことを思って生きるんだろうな。
友達を生かしたいし、友達のなかで生きてたい
–つくってくれたプロフでも、「友達」という項目が、とても三浦さんらしいです。
三浦:繰り返しになっちゃいますけど、僕がこうして生きていられるの、友達のおかげなんで。友達のこと紹介したいじゃないですか。友達と友達がつながったら嬉しいし。僕、「友達と友達のあいだ」にいたいと思うんです。
-友達と友達のあいだ?
三浦:あの友達とこの友達を誘って、一緒に飲みに行って。しばらくしたらその二人が仲良くなって、三浦抜きでメシ行ったりしてて…みたいなのが気持ちいい。
僕があいだにいなくて、たまたまどこかで出会って仲良くなってても嬉しいんですよ。だけど、そのあいだに僕がいたらいいなぁって。僕、小説の「横道世之介」みたいな生き方に憧れるんです。
-どこにでもいそうだけど、みんなのあいだにいて、なんだか忘れられないやつですよね、あの主人公は。
三浦:はい。忘れられたときに人は死ぬって言うじゃないですか。まったくそうだなと思う。僕は友達を生かしたいし、友達のなかで生きてたいと思ってる。
だから、「三浦ってやつがいたなぁ」って、思い出してほしい。でもそれは、絶対そうなってほしいということではなくて。「俺がつなげましたよね?」みたいに押し付けるわけでは決してない。友達と友達のあいだに僕がいたらいいなぁって、“こいねがって”るんです。
-こいねがう。いい言葉ですね。
三浦:こいねがうって、「希う」って書くんですよ。だから、うちのお父さんとお母さんが、希望の「希」と書いて「のぞむ」って名前をくれたの、ヤバくねえかな、って思うんですよね。