「あなただけの履歴書を、つくってみてくれませんか?」
Proff Magazineでは、履歴書の自由なあり方を考えるために、さまざまな分野で活躍する方にそんなお願いしてみることにしました。
今回お願いしたのは、フォトグラファー・コハラタケルさん。写真を通して日常にある美しさを伝え、Instagramでは「#なんでもないただの道が好き」などのハッシュタグを発案し、10万7千人のフォロワーを集めています。
そんなコハラさんのキャリアは、決して順風満帆だったわけではありません。
幼稚園から30年続いた孤独感、東日本大震災の被災地で受けた衝撃、写真に見出した希望……。コハラさんの履歴書から見えてくる、“なんでもない日常のかけがえのなさを伝える”生き方とは?
個人向けの写真講座や撮影に取り組む
-今日はコハラさんのご自宅での取材ですが、広くて自然光が入る、素敵なお部屋ですね。
コハラ:最近引っ越してきたばかりなんですよ。家で撮影もできる部屋にしていて、撮影もできます。あとでポートレート撮ってみますか?
-いいんですか? ぜひお願いします(笑)。
さて、まずはコハラさんの活動について聞かせてください。現在フォトグラファーとして、どんなお仕事をしているのでしょう?
コハラ:ひとつは、カメラメーカーさんを中心とした企業案件。そのほかに、写真について学ぶことができるサイトである「CURBON」で、講座の講師や撮影に関するノウハウを伝える動画の販売などをしています。
撮影のお仕事としては、個人向けに家族写真などを撮っていますが、コロナの影響で一時期、案件がゼロになってしまって。今後のことも考えて、なにかやらないといけないなと思い、文章や写真を投稿できるサービスである「note」のサークル機能を使って「コハラタケルのウラ話」を始めました。いわゆるオンラインサロンです。
サロンでは、僕がInstagramで投稿した写真の撮影場所を公開したり、みんなで1枚の写真を編集したり、撮影のイベントを開催したりしています。
ドラマティックなことがなくても、生きてていい
-この連載では、みなさんに「生きる上で大切にしていること」を聞いています。コハラさんは、なにか大切にしている哲学のようなものはありますか?
コハラ:企画を否定するかもしれないですけど、まだ「これ!」と言えるようなものは見つかってないです。でも別に、生き方の哲学が見つかっていなくてもいいんじゃないかな。
-生き方の哲学は見つかっていなくてもいい?
コハラ:SNSを見ていると、「ネガティブじゃだめだ」「頑張って成功しよう」「哲学を持って生きよう」っていうようなメッセージを植えつけられる感覚、ありませんか?
-すごくあります。
コハラ:僕はそれが苦手で。生きていたら、楽しいことばかりじゃないですよね。つらかったり、かなしかったりするときはある。ネガティブになるときや、生き方の哲学を持てないときもあるじゃないですか。
そういったときだって、等しく生きていていいと思う。人生をドラマティックにしなくてもいい。日常に目を向け、大切にすることのほうが大事だと思うんですよね。
幼稚園で、「自分に手を差し伸べる人はいない」と悟った
-そういった考えを持つに至った背景は、どのような経験があったのでしょう?
コハラ:実は、幼稚園の時からここ最近まで、30年くらい「本当の意味で自分に手を差し伸べてくれる人はいない」っていう感覚を持ってたんですよね。
-約30年も……。幼稚園のとき、なにがあったんですか?
コハラ:幼稚園に通っていたとき、先生にいじめられる経験をしたんです。別の子が悪さをしたときに、その子じゃなくて僕を叱るとか。そうしたほうが、ことがスムーズに運ぶと思ったんでしょうね。集合写真で、なぜか僕が入れてもらえなかったこともありました。
今でも覚えてる光景があるんです。運動会のかけっこで転んじゃって、その場でずーっと大泣きしたことがあって。たくさんの父兄がいたから、誰かが自分が抱えてるつらさに気づいてくれるんじゃないか、って期待してたんだと思う。
でも、誰も助けに来てくれなかったんですよね。今思えば、かけっこは続いてるわけだから当たり前なんですけど。父親にも、家に帰ってから「情けない」って言われたりして。
その出来事があったときに、「あ、自分に手を差し伸べてくれる人はいないんだな」って悟って。以来30年間、その感覚が続いてました。
親の期待に応える生き方から放り出された
-両親でさえも、手を差し伸べてくれる感覚はなかった?
コハラ:父は厳しい面があったけど、僕はすごく両親に感謝しています。僕に寄りそう努力をしてくれたと思うし。僕も子どもの頃から、親の期待に応えるために生きていました。
でも、高校2年生のときに、その生き方からも放り出されてしまいました。
-なにがあったんですか?
コハラ:高校1年生まで、親の期待に応えようと勉強を頑張ってたんですよ。その甲斐あって、2年生では優秀な生徒が集まる特進クラスに入ることができて。
でも入ってみたら、それまでとレベルがぜんぜん違ったんです。僕より勉強ができる人たちがたくさんいるし、宿題の量も大量だし。それでもなんとかついていこうと、1週間ほぼ寝ないで勉強してました。
そしたら、心が潰れちゃって。「もう生きていられないな」とまで、思うようになってしまったんですよね。
-そこまで追い込まれてしまったんですね……。
コハラ:なので、高校を辞めることも考えたんです。だけど、両親がどうしても大学までは出て欲しいという考えだったので、頑張って卒業して、大学に入りました。
でも、就活はまったく興味を持てなかった。先が見えない状態でしたね。高校1年までずっと、親の期待に応えるために行動してたわけです。だけど、挫折してしまって、その生き方ができなくなった。それまで信じていた世界から、放り出されたみたいな感覚になったんです。
東北の被災地で受けた衝撃
-ある意味、生きる意味を見失ったような状態だったのかなと思います。それからどうやって、「日常のかけがえのなさ」に気づいていったんでしょう?
コハラ:東日本大震災の経験は、僕のなかで大きいです。大学卒業後に上京して、東京の建設会社で働いていたときに震災が起きて。震災から3週間後くらいに、僕も被災地に派遣されることになったんです。
-どこに派遣されたんでしょう?
コハラ:仙台市の近くでした。僕が派遣されたところは、被害が沿岸部ほど甚大ではない場所で。そこに、全国から運ばれた資材を置くストックヤードをつくり、そのセンター長を約10ヶ月やっていたんです。
休日には、沿岸部の石巻市や気仙沼市にボランティアに行ってました。それまでもテレビで被災の状況は見てたけど、テレビで見るのと現場で体感するのとでは、感覚がまったく違うんですよね。
はじめて石巻に行った時は、一面がれきだらけになった景色や、強烈なにおいがそこにあって。あのときはもう、言葉にならなかったな。
ボランティアに取り組んでいたある日、世間話をしていたら、ある方が「家族は全員無事だったけど、家は流されちゃいました」なんて、苦笑しながら話すんです。
あり得ないじゃないですか。昨日まで当たり前のように家があって、当たり前のようにそこで暮らしてた。にもかかわらず、次の日には家がなくなっちゃってる、って。
石巻から仙台の方に車で帰る時、現場の悲惨さや悪臭も相まって、「なんだんだろうな、これは」って、涙が流れてきましたよ。
日常のかけがえのなさを伝えたい
コハラ:東北で10ヶ月すごしてから、東京に帰ってきて、ひさしぶりに渋谷のスクランブル交差点を見て愕然としたんです。
まだ当時、被災地はボロボロの状態。そこから高速道路で4、5時間くらいの距離にある東京では、もう震災以前の光景が戻っていた。
その光景を見た時に、もう訳が分からなくなって。まだ東北では苦しんでる人たくさんいるのに、東京では多くの人が、震災のことを忘れてるんじゃないかって。怒りや悔しさが、頭のなかでぐるぐる回るような感じになってしまったんです。
被災地を見てきた僕は、いつ日常が失われてもおかしくないということに気づくことができた。じゃあ、どうしたら日常のかけがえのなさを伝えられるだろう、と思うようになったんです。
写真が、日常のかけがえのなさに気づかせてくれる
-東京に戻ったあと、フリーランスのライターをやりながら、Instagramでの日常の美しさを切り取った投稿で人気を集め、フォトグラファーに移行していきましたよね。写真という表現方法を選んだのはどうしてなのでしょう?
コハラ:現実的な話をすれば、ライターだけでは単価が安かったから。フリーランスとして、文章以外の付加価値をつける必要性を感じていたんです。
それまで写真の経験はほとんどありませんでした。実はカメラを東北に行った時に買ったけど、1年で3、4回くらいしか使わず、「向いていないんだな」と思って売ってしまってた。だけど稼いでいくために、本格的に写真を始めることにしたんです。
そのタイミングでInstagramも初めて、1年半くらいはなかなかフォロワーも増えなかったんですが、模索するうちにフォローしてくれる方も増えて。だんだんと撮影の仕事や写真を教える仕事も来るようになり、2018年の9月にフォトグラファーに完全に移行しようと思えるまでになりました。
コハラ:写真という方法を選んだもうひとつの理由は、日常のかけがえのなさを伝える方法として、写真の可能性を感じていたことです。
-写真の可能性。
コハラ:「日常ってかけがえのないものなんだよ」って、言葉で伝えても伝わらないじゃないですか。僕自身、ちょっと日常を粗末にしちゃう日だってある。日常がかけがえないものだという感覚は、だんだん忘れていくものなんです。
僕、前住んでた家が3階で、窓から外を眺めると、目の前に一軒家と駐車場があったんです。別にすごくいい眺めが広がってるとかじゃなくて、どこにでもあるような景色ですよ。
あるとき、一軒家も駐車場も取り壊されて、でっかいマンションが建ちました。実は一軒家のところに紫陽花が咲いていて、何度か撮ったことがあったんですよね。でも、紫陽花だけでなく一軒家ごとなくなってしまって。
そのときにはじめて、「もう一度、撮りたかったな」という想いが込み上げました。失われてしまった景色が、自分にとってはすごく愛着がある大切なものだったんだな、っていうことに気づいたんですよね。
-ああ、僕もその景色が失われてはじめて、何気なく目にしていた日常のかけがえのなさに気づいた経験があります。
コハラ:そういう「日常ってかけがえのないものなんだ」っていうことは、言葉で伝えることは難しいと思うんです。
だけど、日常を切り取った写真を日々見てもらえたら、見た人のなかに価値観がすり込まれていくはず。気づいたら、「日常ってかけがえのないものなんだ」って思うようになってる気がするんですよね。
だから僕は、日常のかけがえのなさを伝える写真を撮って、発信し続けているんです。
サークルを始めて、孤独感がなくなっていった
コハラ:インタビューのはじめに、「本当の意味で自分に手を差し伸べてくれる人はいない」という感覚が、約30年間続いてたって言ったじゃないですか。それが、最近なくなってきたんですよ。
-それは大きな変化ですね。なにかきっかけがあったのですか?
コハラ:オンラインサロンに、たくさんの人が集まってくれたことが大きいです。2020年4月にnoteでサークルをつくったら、毎月1100円払って参加してくれるメンバーがたくさん集まったんですよ。2020年10月現在で、約180人の方が参加してくれています。
-コハラさんって、Instagramは10万7千もフォロワーがいますよね。数としてはぜんぜん少ないけど、サークルの180人の方が大きな意味を持っているんですか?
コハラ:どんなにSNSでフォロワーが増えても、「本当に応援してくれてる人はいなんじゃないか」「いつか忘れられるんだろう」って思いがあったんです。だって、SNSのフォローなんていつでも外せちゃうじゃないですか。ある意味刹那的な関係性な気がしていて。
でも、サークルは、もっと長く僕と関わっていきたい人が集まってる。僕のことを信頼してる人じゃないと入ってくれないと思うんですよね。そこに多くの方が集まってくれたことで、本当に、安心感が生まれたんです。なんか、みんなが「大丈夫だよ」って、背中を押してくれているような感覚を持つことができました。
コハラ:僕はサークルに参加してくれている人に救われた。本当に感謝しかないです。そんな感謝を、言葉だけじゃなくてかたちとして示していきたいんですよね。
だから、これからサークルのメンバーに対してたくさんの機会をつくっていきたいと思っています。具体的には、メンバーでフォトウォークをやったり、写真集をつくったり、スタジオを借りて研究会や写真展をやったり。
今はなかなか難しいですけど、もっとサークルの人数が増えたら、写真集をつくる費用とか、写真展の場所代とか、プリント代とかも、サークルの収入から出すことも考えています。
僕はつらかった時期に、写真を撮ることで救われた。だからサークルに参加してくれたみんなに、少しでも多く、写真を通して人生が豊かになるような体験を分けていきたい。それが今の僕のやりたいことなんです。
(執筆・撮影:山中康司)
コハラさんが運営するnoteサークル「コハラタケルのウラ話」は、普段撮影時に考えていることやSNSでは話せないような本音トークをまとめたコンテンツを読んだり、音声で聞いたり、撮影へのアドバイスを受けたりすることができる情報提供型のサークルです。
見る専・聞き専 OKだそうなので、興味がある方はぜひ参加してみてください。