「もっと影響力を持ちたい」
そう思ったことがある方は多いでしょう。たとえば「もっとSNSのフォロワーを増やしたい」「いつかあの番組に出たい」「社内でたくさんの人を動かす立場になりたい」などなど。
しかし、シーシャカフェ「いわしくらぶ」などを運営する磯川大地さんは、「自分の実態以上に、影響力を持ちたくないんです」と語ります。
「どれだけ影響力を持つか」という価値観のものさしを多くの人が持っているいま、彼の考え方は、生き方を考える上でのヒントになるはずです。
磯川大地さんの「有名になることから距離を置く生き方」とはどんなものなのか、話を聞きました。
肩書きは「シーシャカフェ店主」
-今はどんな活動をしているんですか?
磯川:自社店舗の運営を軸に、他社さんの店舗立ち上げの支援、その他シーシャにまつわるいくつかのプロジェクトを並行して進めています。メインはシーシャ(水たばこ)カフェ「いわしくらぶ」ですね。いまは北海道の北見市、東京の水道橋、富山の八尾町に店舗があります。
-吸うお茶って、ユニークですね。
磯川:ありがとうございます。「いわしくらぶ」のようなリラックスできる空間を、プロダクトをつくることで増やしていきたいと思って始めた取り組みなんです。2020年にクラウドファンディングをやったら、200万円もご支援をいただいて。今は京都を拠点に独自の体験を開発中です。
あとは、6月16日に下北沢にできた新施設「reload」に入るシーシャカフェ「chotto」のオープンを手伝っていたりします。
-「いわしくらぶ」とはまた違ったシーシャカフェを?
磯川:そうですね。「chotto」はシーシャカフェでありながら、アートや音楽、演劇、ミュージカルなどの「表現」に触れられる空間を目指しているんです。
「chotto」の創業メンバーである木村新はウクレレ奏者、小澤彩聖はフォトグラファーで、その他のスタッフも役者やミュージシャン、ダンサーなどの表現者。併設するギャラリーではミニライブやワークショップも開催する予定です。
-どうして「表現」に触れられる空間を?
磯川:じつは僕も、小説家や役者を目指していた時期があるんですけど、今の日本だと、表現者であり続けるのって難しいんですよね。メインの収入を得ている職業じゃないと、「俳優やってます」とか「ミュージシャンです」とか、名乗りづらい雰囲気がある気がして。表現者側も、表現だけで食べていくことができていないことに負い目を感じちゃったり。
でも僕は、その人がメインの収入を得ているのがカフェのスタッフでも、会社員でも、表現者であるなら、「私は俳優です」「ミュージシャンです」って名乗りやすい空気ができたらいいと思うんですよ。
-たしかに、「肩書き=メインで収入を得ている仕事」みたいなイメージはありますよね。
磯川:そうですよね。そんな、表現者だと名乗りづらい雰囲気の背景には、多くの人たちが表現者と接する機会が少ないことがあると思っていて。自分は表現に関わっていないという人でも、もうちょっと表現に触れる機会をつくれたら、表現者に対するイメージも変わるのかなと。でも、劇場とかライブハウスまで行くのってハードルが高いので、表現に出会う場を街のなかに溶かしていきたいんです。
-表現に出会う場を街のなかに溶かす。
磯川:江戸時代とか、もっというと室町時代までさかのぼると、道端に表現者がいたんですよ。今の歌舞伎役者も、その頃は「河原乞食」なんて呼ばれて、河原で芸を見せていたんです。それが今では、表現が特別な場に行かないと触れられないものになってしまった。僕は現代でも、街中で表現に触れられる場があったらいいなと思ってるんですよね。
人にはちょうどいい影響力の範囲がある
-磯川さんはいろいろな取り組みをしてますけど、肩書きを聞かれたらなんて答えてますか?
磯川:「シーシャカフェの店主です」って言ってますね。実際には複数の会社を経営してるんですけど、「社長」なんていうと、立派そうにみられるじゃないですか。あんまり立派にみられたくないんですよ、僕。
-立派にみられたくない。過去のインタビューでも、「歴史に名を残さないでいい」と言っていたのが印象的でした。
磯川:そうですね。ひねくれみたいな気持ちもあると思うんですけど。基本はあんまり有名になりたいとか、名を残したいみたいな意識はないかな。
-どうしてそう思うんですか?
磯川:歴史に名を残してはいないけれども、かっこいい人を知っているからかもしれません。司馬遼太郎の小説『俄』で描かれた幕末の俠客・明石屋万吉が、僕はすごく好きなんです。
あの時代って、坂本龍馬とか新撰組とか、歴史に名を残した人たちがいっぱいいるじゃないですか。だけど、明石屋万吉は歴史の表舞台に出てこないんですよね。子どもの頃から寺銭荒らしや賭場荒らしをやっているうちに、ヤクザの親分とかから他の誰もやりたがらない仕事を引き受けるようになっていって、次第に「なんでも屋さん」として激しい時代の裏側で生き延びていく、という人で。
-そういう「名を残さない」生き方に美学を感じているんですか?
磯川:美学か…自分の中で整理できてないけど、美学と言ってもらえるんならそう捉えてもいいかもしれないですね。
でもそれ以上に、自分の実態以上に大きく見られていいことはないと思うんです。人って、それぞれちょうどいい影響力の範囲があるんじゃないのかなって思っていて。
たとえば僕も、今は東京にいていろんな人と会えるのがありがたいなって思いますけど、じつは北海道の北見でシーシャカフェをやりながら、常連さんと毎晩酒を飲むような日々をすごしていた方が、幸福度は高かったかもしれない。精神的な自由もあるし。
-影響力が大きい方がいいとは限らないと。
磯川:はい。会いたい人に会えたらそれでいいかなって。その時々によって会いたい人の数は違うんですけど、まあ僕の場合は2,30人じゃないですかね。自分の声が直接届く範囲が一番心地いいなと思います。
人間って完璧じゃないから、SNSで完璧っぽい感じのイメージが独り歩きしちゃうと、危険だなと思うんです。直接声が届かない範囲で、関わる人を傷つけてしまうかもしれないし。僕がもうちょっと有名だったら、「Twitter でこう書かなきゃいけない」とかいうことも気にしなきゃいけなくなると思うんですけど、僕、そういうのできないので。
-影響力を持つとことのあやうさを意識してるんですね。
磯川:そうですね。まあ、単純に僕がネガティブなので、「そんな有名になれるわけない」って思ってるってのもありますけど(笑)。
高校を中退し、丁稚奉公をした
-磯川さんは、高校を中退して丁稚奉公していた経験があるのだとか。
磯川:はい。高校2年の春に中退して、そのまま上京して、江戸川区の書店で丁稚奉公をしてました。僕、商売人になりたかったんですよ。父親が実業家だったので、自分で商売をやるのがめちゃくちゃ当たり前のことだと思ってたんです。
それで、当時から松下幸之助とか本田宗一郎とか、経営者の本を読んでいて、「みんな学校行ってないんだな」と思ったんですよね。サンプル数少ないんですけど(笑)。だったら僕も行かなくてよさそうだなと思って、あとは単純に学校がつまんなくなっちゃったので、「さっさと実践の場に行こう」と思って、上京したんです。
-それで、東京にある書店で働くことに。
磯川:そうですね。江戸川区に、いろんな商売人が集まる本屋さんがあって、「商いの勉強をしたいので、丁稚奉公させてください」って門をたたいたら、二つ返事で「いいよ」と。
なぜその本屋だったかっていうと、面白い人が集まってくるサロンのようなところだったんですよね。学生やアスリートもくるし、心理学者もくるし、経営者も投資家もくるし。店主の方自身も作家で。だから学びが大きそうだなと思って。
それから2年半ぐらいは、店に寝泊まりして、朝6時には起きて本の整理して、食事は社長や奥さんにご馳走になって、夜は店長や常連さんの話を遅くまで聞いて。月のお給料は数万円で休みは週一回あるかないかの生活。でも、自分から望んだ環境だったから、今思い返しても大変じゃなかったですね。学びが多くて、楽しかったなと。
-「いい大学に行って、大企業に就職して、結婚して…」みたいな価値観ってあると思うんですけど、そういったものは意識しなかったんですか?
磯川:それもひとつの価値観としていいと思うんですけどね。僕はそういう生き方ができない人間なんです。だから逆にあこがれたりもするし。
他人と比べちゃう気持ちもわかるけど、端から見ていい大学に行って、いい会社に行って、順風満帆みたいに見える人も、実はそれぞれの課題とか紆余曲折があるんですよね、きっと。だから僕は、結果的にどういう経歴になってるかとか、他人からみてどうかって、気にしなくていいと思うんです。結局どうあがいたって、生き方は自分でつくるしかないので。
ただ、僕のまわりには「自分らしく生きたいけど、自分らしい形のままで社会に馴染めない」という人たちがたくさんいるので、そういう人たちの力になれたらなとは思ってます。「chotto」で一緒に働くような表現者のみんなもある意味そうだし。まあ、いちシーシャカフェの店主なので、できることは限られてますけどね。
生きづらさを感じる人に寄り添う存在でありたい
-シーシャカフェの店主にできることって、どんなことなんでしょう?
磯川:僕はシーシャカフェの店主って、かつてのお坊さんみたいな存在だと思うんですよ。そんなこと言ったら本物のお坊さんに怒られるかもしれないけど。山の中に庵を建てた良寛さんみたいに、社会で生きづらさを感じた人に「ちょっと一服していきませんか?」みたいに声をかけられる存在になりたい。
さっきも言ったけど、今って多くの人が生きづらさを抱えてるじゃないですか。「成功してる」と言われてる人たちだって、それぞれの苦しみがあるわけで。だから僕は、カフェに来たお客さんが、店に入った時よりも少し気持ちを軽くして帰ってもらうっていうことを大事にしたいんですよね。単純に、僕が一人で生きていく自信がないから、そうやってみんなで助け合っていきたい。
-生きづらさを抱えても、病院に行ったりカウンセリングを受けたりするのってハードル高いですよね。そんななかで、シーシャカフェは気軽に立ち寄れる場所になる気がします。
磯川:僕らがやってるシーシャカフェは、シーシャを吸わなくても、コーヒーだけでもいい。シーシャやコーヒーは、あくまでもお金をいただくための言い訳であって、本当にやりたいことは心の交流なんですよね。そういう意味では、やってるのはシーシャカフェだけど、本質的にはもしかすると、医療行為に近いのかもしれない。
だから僕は「シーシャカフェの店主です」って胸を張って言ってます。あまり立派な肩書きにしちゃうと、話をしに来るひとも構えちゃうし、わざわざ誇張する必要はないかなって。「シーシャカフェの店主」は決して下賤な仕事というか、安い仕事と思ってないから。
そういえば、僕の丁稚奉公先だった本屋のオーナーもずっと「店長、店長」って呼ばれてました。実際には代表取締役社長であり、本のソムリエとしてテレビにも出るし、本を何冊も出している作家でもあるんですよ。でも、みんなからは「店長」って呼ばれてる。今気づいたんですけど、そんな店長の姿から影響を受けてるのかもしれないです。
-「有名になりたい」とか「すごい肩書きを持ちたい」っていう気持ちは、どこかで相手よりも上に立ちたいっていう気持ちがあったりしますよね。それによって、相手との関係も上下関係ができてしまうこともある。
磯川:そうですね。生きづらさを抱えている人にとっては、そういう上の立場の人よりも、「遠くない他人」「血のつながってない親戚」みたいな人のほうが、ときとして大事なのかもしれない。そう考えると、「シーシャカフェの店主」っていう肩書きが、僕にとってはちょうどいいんです。
誰かが「ただそこにいていい」と思える場所を
フォロワーの数やいいねの数で、その人の価値がはかられる–。そう錯覚してしまうような環境に、息ぐるしさを感じた経験がある方もいるでしょう。そんな息ぐるしさを感じたとき、「ただそこにいていい」と思える場所があったら、どれだけ支えになることか。
それはシーシャカフェかもしれないし、スナックかもしれないし、家かもしれない。そんな心の避難場所のような存在を持っておくことが、「影響力を持たなければならない」という息ぐるしさから、僕たちをすこし解放してくれるかもしれません。
(執筆・撮影:山中康司)