ひとりで散歩や読書をする時間によろこびを感じる。けれど、ちょうどいい距離感で人との関わりも欲しい…。
実は、そんな“寂しがりやのひとり好き”な人って、けっこういる気がします。
これを書いている僕がまさにそう。そして、「そんな特性って、もしかしたら働く上で強みになるのかも?」と、「デザイナー大家」として活動する戸田江美さんを取材して思うようになりました。
戸田さんは、web系企業を新卒1年目で退職後、フリーランスのデザイナーとして独立。24歳の時に、荒川区東尾久にある“築40年のおっちゃん物件”「トダビューハイツ」の大家業を祖母から継ぎました。2022年には町屋の小さな空き地に賃貸マンション「ロジハイツ」をオープン。現在、大家とデザイナーを兼業する「デザイナー大家」として活動しています。
そんな戸田さんが運営する物件は、“大家の顔が見える物件”として各メディアで取り上げられるなど、注目されてきました。
なぜ戸田さんは、“大家の顔が見える物件”であることを大切にするのか。その背景には、戸田さんの「“関わりしろのある暮らし”をつくる生き方」がありました。
築40年の“おっちゃん物件”
-トダビューハイツ、“築40年のおっちゃん物件”っていううたい文句がおもしろいですね。
戸田:ありがとうございます。なんか、おっちゃんに見えるんですよね(笑)。鉄筋コンクリートも無骨な感じじゃないですか。
-ちょっと不器用そうなところもあり。
戸田:そうそう(笑)。エレベーターもないですしね。
-さっきトダビューハイツの前で、住人のご夫婦と立ち話してましたよね。なんだか、大家さんと住人っていうより、親戚同士みたいな関係だなぁと感じました。
戸田:そうですねぇ。“顔が見える関係”でいたいなぁと思っているので。
-“顔が見える関係”を象徴するエピソードってありますか?
戸田:なんだろうな…ちょっと日記を見てもいいですか? わたし、「トダビュー日記」をつけてて。ここで面白いことがあったときに。
-それはいつか世に出してほしい(笑)。
戸田:ははは! いいかもしれない(笑)。えっと、さいきんのことでいうと、ちっちゃい子ども連れの家族が引っ越してきたんですね。ある日、ピンポンってチャイムを鳴らされて、出てみるとトダビューハイツに住んでいる女性だったみたいで。
何の用事かちょっとドキッとしたけど、「ミスドでドーナッツ買ってきたからあげるよ! これと焼酎を飲むとおいしいの!」って言われたらしいんです(笑)。
-ミスドと焼酎! 合うんですかね?(笑)。
戸田:どうなんでしょうね。その女性、お酒好きなんですよ(笑)。でも、いつも気にかけてくれてるらしくて、子どもが廊下にバーって出てくと、「危ないから気をつけてね!」って声をかけてくれたり。そういう関係がトダビューハイツにはありますね。
-すごくいい話ですね。おっちゃん物件、なんだか好きになっちゃうなぁ。
大家業とデザイナー業をおこなう「デザイナー大家」
-大家業って、やったことない人からするとイメージがつかないと思うんです。普段どういうことをしてるんですか?
戸田:事務的なことで言うと、管理会社がやってるような仕事です。家賃が入ってるかチェックして、掃除して、建物で壊れてるところがあったら工事を手配して。あとは内見の立会いをして、興味持ってくださった人には街歩きもします。あとは遊びですね。住人とご飯食べ行く、みたいな。
-住人さんとご飯を?
戸田:はい。住んでる人限定でご飯会をしたりしてます。あとは広報もやらなきゃなんですけど、さいきんサイトを更新できてないですね(笑)。
-でもサイト、あたたかみがあってすごく素敵です。戸田さんは「デザイナー大家」だから、ご自分でデザインも?
戸田:はい。イラストも描いてますし、写真も撮ってます。
-すごい! デザイナーとしてはフリーランスでも活動しているんですか?
戸田:そうですね。ウェブデザインがメインで、裏のプログラムを組むところもやってます。あとイラストとキャラクターデザイン、たまに 写真も撮ってますね。
大家業を継ぐも、プレッシャーで胃が痛くなる
-大家の前はweb系の会社に勤めてたそうですが、なにがきっかけで大家に?
戸田:トダビューハイツって、亡くなったおじいちゃんが1978年に建てて、おばあちゃんがあとを継いで大家をやってたんです。
わたし、大学生のころに母を亡くしてから、おばあちゃんと2人暮らしをしてたんですけど、web系の会社に就職したのを期に、横浜で一人暮らしを始めたんですね。
戸田:ちょうどその頃、トダビューハイツの周囲にマンションが増えたこともあって、空き室が増えてきて。他にも色々トラブルがあって、そのストレスもあってか、おばあちゃんが具合をわるくしちゃったんです。
-大家さんにとって、空き室ができることって精神的につらいんですか。
戸田:それはもう! わたしも大家を継いだあと、ずっとプレッシャーでお腹が痛くなるような日々でしたから。
それで、「おばあちゃんのそばにいたい」と思ったので、会社を新卒1年で辞めることにしたんです。転職するか、フリーランスになるか悩んでたんですけど、ちょうどその頃、青木純さんと出会って。
-青木さんって、「青豆ハウス」や「高円寺アパートメント」のような共同住宅を、住人と共に運営されている方ですよね。
戸田:はい。「大家の学校」も主宰されていて。その青木さんに話を聞いたら、わたしが会社でやってたデザイナーの仕事も、けっこう大家の仕事とかぶるって気づいたんです。
物件サイトのデザインもできるし、文章もちょっと書けるし。だから、やってみようかな、と思ったのが大家になったきっかけですね。デザイナーの仕事も、フリーランスとして在宅でやるなら大家業と兼業できると思ったので。
-なるほど。で、やってみたら「大家もいけるぞ!」みたいな。
戸田:いやぁ〜、意気揚々と「すぐ満室いけるだろ!」って思ってたんですけどね…じっさいは手応えがなくて、「これは駄目だ…」って、すごく落ち込んでた時期が1年くらいありました。
-思ったようにうまくはいかなかったと。その頃は、空室は何室くらいだったんですか?
戸田:12室のうち 3室空いてました。それまでだったら、それくらいの空室は一年未満で埋まってたのが、1年以上たっても埋まらなかったんですよ。
いろんな不動産雑誌や本を読んで、あともう1,2部屋空室が増えた場合を計算しました。それで、「あぁ、このままの流れはよくないぞ…」って。
-そのときはどんな心境だったんですか?
戸田:10ヶ月くらい、ずっと胃が痛かったです。おばあちゃんは、「継ぐ」って言ったら喜んでくれたけど、そんなに成果も出せてないわけじゃないですか。やっぱり管理会社に任せることも考えましたけど、今まで任せてきたのに空室は埋まっていないわけで…。
「この衰退してゆく物件を見届けることになるのか、わたしは…」って、かなり落ち込んでたんです。
物件の良さを、編集者が気づかせてくれた
-おじいちゃんとおばあちゃんから引き継いだ大事な物件を、自分の代でつぶしてしまうのはつらいですよね…。そこからうまくいきはじめたのは、なにかきっかけが?
戸田:わたし、トダビューハイツの本当の良さを無視してたんですよね。それを、周りの人が気づかせてくれたんです。
-トダビューハイツの本当の良さ?
戸田:それまでは、「かわいいレトロ物件です!」って打ち出してたんですね。ふすまも可愛く張り替えて、タイル貼りのお風呂はマイナスだと思ってあまり見せないようにして。でも、ぜんぜん入居が決まらないわけです。
戸田:でもあるとき、webメディアの『物件ファン』さんとか、いくつかのメディアの編集者の方が取材に来てくれて。「トダビューハイツの良さは、かわいさじゃない!」って言われたんですよ。
-『物件ファン』さんの記事って、「25才大家女子『わたしブレてます(笑)』」ですよね。読ませていただきました。
戸田:そうですそうです(笑)。「ダメな大家がいるぞ!」みたいに、よわさも含めて取り上げてくれたんですけど(笑)。
そんなふうに取材を受ける中で、とあるメディアの編集者の方が言ってたのは、「これは『神田川』の世界観なんだよ」って。
-『神田川』って、南こうせつの歌ですか? 「あなたはもう忘れたかしら〜♪」の。
戸田:はい。あの世界観。「暮れなずむまちのこの1室で、上京してきた若いカップルが小さいこたつを出して鍋をつついてる…そんな光景が見えるんだよ!」って(笑)。
-あ〜、たしかに! この部屋にいるとその光景、見えます!
戸田:でしょう?(笑)。トダビューハイツの良さは、この懐かしい感じと、わたしやおばあちゃん、あとは住人さんの顔が見えるところ。レトロ可愛さじゃなかったんですよね。
「だからタイル貼りの風呂こそがいいんだ!」って言われて、「なるほど!」って気づいたんです。
入居が決まり、涙
-それで、打ち出し方を変えたんですね。
戸田:はい。タイル貼りのお風呂もあえて見せるようにして、エレベーターがないことも、むしろ不器用さとしてポジティブに伝えるようにしました。そしたら、「懐かしい感じがいい!」って、入居してくれた人があらわれたんです。
-おぉ、念願の! 入居が決まったときのことって覚えてますか?
戸田:覚えてます。いや〜、ひとりで泣きました…。最初に入ってくれた方は、「正直、洗濯機が外置きなのはちょっと…と思ったけど、それより戸田さんの顔が見えるのがよくて。この物件以外見てないので、申し込みます」って、連絡をくださって。
-ここ以外見てなかったんだ!
戸田:そうなんですよ。グッときちゃいますよね…あんなに埋まらなかった物件なのに。
-そのときの涙は、どういう涙なんですかね。安堵なのか、喜びなのか…
戸田:あ〜。多分、プロポーズされた時の涙と似てる気がします。「いいところを知ってもらって、選んでもらえた!」っていう。
-あぁ、そうか。「家賃入る、やった!」じゃないんですね。
戸田:それはぜんぜん思わなかったですね。それより、いい人が入ってくれたのが嬉しかったです。
わたし、それ以来ずっと、入居してくれたみなさんの入居日をカレンダーにいれて、記念日みたいに毎年通知がくるようにしてるんですよ(笑)。
-ええ!? それはなにかお祝いをするんですか?
戸田:いやいや! みなさんからしたら契約の更新がくる日で、お祝いではないと思うので、パーティとかはしてないですけど(笑)。一人で毎年、「あ〜、今日はあの人が入った日なんだ」って、噛みしめてます。
-なんだかいいなぁ。
戸田:やっぱり、住んでくださる方がいるのは嬉しいですからね。
わたし、陽が暮れる頃にトダビューハイツの外から窓を見るのが好きなんです。それで、部屋に電気がついてるのが見えると、わ〜って嬉しい気持ちになります。
-空室があると、電気が見えないから。
戸田:そうです。あの部屋にあの人が住んでるんだなぁって。それは、大家業を継いでからの苦労があったからこそ、感じることなんだと思いますね。
大家とは、“関わりしろ”をつくる仕事
-戸田さんが考える「大家」ってどんな存在なんですか?
戸田:なんでしょうね。近すぎず遠すぎず、住まいの近くにいる人…かな。大家って、もともとそういう存在だったと思うんですよ。
わたし落語が好きなんですけど、落語だと「大家といえば親も同然、店子(たなこ)といえば子も同然」って決まり文句があるんです。つまり、困ったことがあれば助けてくれる存在が大家で。
-なるほど。現代だと、困ったときに助けてくれる存在が近所にいない人は多いですよね。
戸田:そうなんですよね。わたしももともとは、この辺の地域のことを「人の距離感が近くていやだなぁ」って思うときもあったんです。
だけど、会社に入ってすぐに横浜で一人暮らしをしたとき、ぜんぜん人の顔が見えなかったんですね。大家さんとのコミュニケーションも少ないし、隣の人とも挨拶するような感じじゃないのが寂しくて。「おかえり」って言ってくれる人がいるこのまちが、恋しくなったんですよね。
-見守り合う関係があると、子育てのときや災害時にも心強いですもんね。
戸田:はい。かといって、距離が近すぎるのもいやだから、むずかしいんですけどね。わたし人見知りなので。
-え、戸田さん人見知りなんですか?
戸田:けっこう人見知りですね〜。震災後に「絆」っていう言葉がたくさん語られるようになったりとか、2016,7年くらいにシェアハウスブームがあって「コミュニティをもとう!」って言われるようになった時期があったりしたじゃないですか。ああいうのを聞いて、「わたしは苦手だ〜」って思っちゃってました。
-どの辺が苦手だと?
戸田:ひとり時間がすごく好きなんですよ。ひとりの時間が一番大事で、 その周りにいろんな人がいる生活圏がちょうどいい。その暮らしを守りたいっていう気持ちが強くて。
自分がそう思ってるから、ある種のシェアハウスっぽい強いつながりを住人さんに押し付けるのは嫌なんです。
戸田:だからといって、ひとりで完全に閉じこもっちゃうのも違うし。
それで大事にするようになったのが、“関わりしろをつくる”ことでした。
-関わりしろをつくる?
戸田:たとえばロジハイツの屋上にシェア菜園があるんですけど、農園って別にひとりで畑作業しててもいいし、誰かとおしゃべりしてもいい。そういう、ひとりでいてもいいし、誰かといてもいいような場所をつくりたいんです。
-そうか。誰かと関わってもいいし、関わらなくてもいい。選択はその人に委ねられてる。だから「関わりをつくる」じゃなくて、「関わり“しろ”をつくる」、なんですね。
戸田:そうそう! 「関わり」はつくらない。関わり“しろ”をつくることを、大家としてやっているんだと思います。
「私がおばあちゃんになっても楽しいまち」であってほしい
戸田:“関わりしろをつくる”ことは大事にしてきたんですけど、ここ1、2年ぐらいで、“街ごと好きになる”っていうコンセプトも生まれたんです。
-ロジハイツも、“この街に長く住みたくなる賃貸マンション”っていうコンセプトですもんね。そのコンセプトが生まれたのは、何かきっかけがあったんですか?
戸田:トダビューハイツの空室が埋まってきて、ちょっと余裕が出てきた2019年ごろ、おばあちゃんが所有してた空き地でみんなでアイデアを出し合いながら賃貸住宅をつくる「想像建築」プロジェクトを始めたんです。
そのときに、このあたりの尾久と町屋っていう地域の歴史を調べたり、街歩きをしたりしたりしたんですけど、そしたらもう、このまちが好きで好きでたまらなくなっちゃったんですよ(笑)。
-下町の、人情味ありそうな雰囲気がありますもんね。
戸田:はい。特に尾久はのんびりしてますね。よく鼻歌が聞こえてくるんですけど。
-鼻歌が聞こえてくるまち! いいですねぇ。
戸田:住んでる人の気分がいいってことですからね。トダビューハイツにしても、ロジハイツにしても、そういう土地からニョキニョキ生えてる物件なんです。だから、このまちのことを気に入ってくれる人が、結果的に長く住んでくれるんじゃないかなと思ってます。
-なるほどなぁ。それで内見の時も街歩きしたりしてるんですね。でも、費用対効果的にはどうなんでしょう。街歩きもけっこう手間ですよね?
戸田:そうですね、大家さんの勉強会では、「街を好きになってもらうって、一番遠回りな道を選んだね」って言われました(笑)。でも、遠回りでもいいんです。お金の価値じゃなくて、文化の価値に投資してるような気持ちなので。
-文化の価値?
戸田:わたし、このまちで死ぬつもりなんですよ。死ぬまで居心地良く暮らしていくためには、まちに素敵な知り合いが多かったり、おもしろい文化があった方が楽しいじゃないですか。
たとえ今引っ越さなくても、何度も通ってくれたり、一度引っ越してしまってもまたこのまちに戻ってきてくれたらいいな、って思うんです。
-あぁ、なるほど。自分が死ぬまで生きるまちを、居心地よくしていくために活動してるんですね。
戸田:そうですね、そんな感覚があります。
話逸れちゃうんですけど、わたし広岡浅子さんが好きで。
-NHKの朝ドラ『あさが来た』のモデルになった、明治・大正期の女性起業家ですよね。
戸田:そうそう。広岡浅子さんって、落ちかけてた家業を継いで盛り立てたところから始まり、その後人の命を守るための保険業に取り組んで、さらに大学創立に尽力して、女子教育の普及に取り組んだんです。つまり、家業から社会へと目が広がっていったんですよね。
広岡浅子さんの生涯に触れると、「あぁ、わたしもこういう道を辿るんだな」って、自分を重ねるんです。
もともとはこの物件のことだけを考えていたけど、地域のことだったり、社会のことに目が向くようになっていくんだなって。 広岡浅子さんとはぜんぜんレベルが違うとは思うんですけどね(笑)。
レールに乗らない人だからこそ受け入れてくれる人もいる
-最後に、今回スマート履歴書「Proff」をつくっていただきましたが、「履歴書」に対して思うことってありますか?
戸田:うーん、そうですねぇ…「こうあるべき」みたいなレールにのるのが苦しくなるタイプなので、そこから逃げてきたというか。違う道を探すタイプですね。
家族も、幼稚園から高校まで通った学校もわりと保守的で、「レールが大事!」っていうタイプだったので、世間ってそういうものなのかなぁと悩む期間はあったんですけどね。美大に行ったら、レールを気にしない人がたくさんいて、楽になりましたね。
-周囲の環境の影響は大きいですよね。まわりのみんながレールを気にしない環境だと、自分も気にならなくなるというか。
戸田:はい。ちょうど就活の頃、ITベンチャーブームがきて、web制作が好きだったからwebデザイナーの求人を見てたら、「履歴書の提出はいらないよ」みたいな企業もあったので、エントリーしたら受かったんです。レールに違和感を持ってしまう自分も受け入れてくれる人たちもいるんだな〜、と思いましたね。
戸田:あと、履歴書の提出が必要だけど、「これ、実際は読んでないな」と思うこともあったりして(笑)。だから、履歴書とは別にもっとわかりやすい「自分年表」みたいなものをつくってわたすとか。そんなふうに、工夫しながら楽しく就活してました。
-楽しくレールを外れていたんだ(笑)。
戸田:はい(笑)。今思えば、履歴書にしても大家業にしても、レールからははずれるようなことをしてきたと思うんですけど。むしろ、はずれるからこそ受け入れてくれる人があらわれるんですよね。
-大家業も、街歩きまでするとか、ユニークな物件のサイトをつくるとかいったことは、常識からは外れることかもしれないですね。
戸田:はい。実際におばあちゃんからは「なんでそんなことにお金と労力をかけるのかわからん!」って反対されました。なので、「やっちゃえ!」と思って、特に相談なくサイトつくったりしてました。
レールを外れて何か失敗しても、あとから謝ればいいだけなこともあるので。反対されても、「やっちゃえ!」って気持ちで突破することはありますね(笑)。