生き方を考えるとき、憧れの存在(ロールモデル)を見つけよう、とすすめられることは多い。
けれど、憧れの存在を見つけたら、そのあとどうすればいいのだろう。
私たちは厳密にいえば、憧れの存在と同じ生き方ができることはない。その人物とはパーソナリティも、環境も違うからだ。そんな現実に直面したときに、嫉妬という後ろ向きな感情が湧いてしまうこともある。
そんな感情も乗り越えながら、「憧れの存在を、あえて目指さない」という生き方をしてきたのが、ブランディングプロデューサーとして活動する井上 豪希(いのうえ ごうき)さんだ。
今回は井上さんの生き方から、憧れの存在との向き合い方を考えてみよう。
料理のスキルを活かして
ブランドをプロデュースする
井上さんは、奥さんである桃子さんと立ち上げた株式会社TETOTETOで、ブランディングプロデューサーとして活動するだけでなく、料理人、茶道家、狩猟家、おもてなし夫婦ユニット「てとてと」の料理担当と、さまざまな活動に取り組んでいる。
その活動をひとことで説明するのはむずかしいのだが、少なくとも「食」が、その中心にあるのは間違いなさそうだ。
「父親が料理人だったこともあって、僕も料理が得意で、マンションの一室をリノベーションをした自宅で『てとてと食堂』という招待制のホームパーティーを開いて、料理をふるまっています。それは趣味のようなものですね。」
井上さんはそんな料理のスキルを活かしながら、主に食のブランドをプロデュースする仕事をしている。
ただ、井上さんのプロデュースの方法はユニークで、クライアントとクリエイターを「レベニューシェア」という契約方法でつないでいる。「レベニューシェア」とは、納品物ができあがったタイミングでクリエイターに報酬を支払うのではなく、発生した収益に応じて経費や費用を支払うというものだ。
「つまり、今まで30円で売っていた商品を1000円で売れるようにするから、売れたときに100円デザイナーさんにバックしてくださいね、というスキームです。わかりやすく言えば、デザインに著作権をつけるようなイメージ。本って、作ったときではなくて売れた時に印税が入ってきますよね。それを食のブランディングプロデュースでも応用しているんです。」
こうして生み出された商品はどれも魅力的だ。たとえば和菓子屋のブランド「it wokashi(いとおかし)」。これまでの和菓子に使われてこなかったハーブやスパイスを素材として使い、パッケージもポップなデザインを採用。すると、百貨店のバイヤーから声がかかり、ポップアップショップに出品すると評判を集めるようになった。
また、「森の治療薬」とも呼ばれるハーブ「レモンマートル」を用いた「レモンマートル・プロダクツ」のプロデュースでも、レベニューシェア のスキームでデザインを制作。売り上げ増につなげた。
クリエイターが、嫌な仕事をしなくてすむようにしたい。
井上さんが「レベニューシェア」のスキームでブランドのプロデュースをするのは、なぜなのか。尋ねると、「僕がずっと憧れてきたクリエイターという存在が、嫌な仕事をしなくてすむようにしたいんですよ」という答えが返ってきた。
「商品を作るプロセスで、お金のやりとりによって『発注者/受注者』っていう上下関係ができてしまうことによって、クリエイターが本当にいいものを作れないことがよくあるんです。たとえば、デザイナーは商品のことや顧客のニーズを考えて赤いロゴを提案したのに、社長が『俺は黒が好きな色だから、黒にしてくれ』と言い、デザイナーは反論できず、黒いロゴができてしまう、みたいな。」
「レベニューシェア」のスキームでは、クライアントとクリエイターの関係は「発注者/受注者」という上下関係ではなく、ともに商品をより広く届けるというミッションを追うパートナー関係になる。そのため、ときには「いや、赤いロゴの方がいい」と、クリエイターが主張を押し通すこともある。
しかしそうしたプロセスを通じて、クライアントもデザインへの理解が深まり、結果的にクライアントの課題を解決する商品が生まれる。そうして生まれた商品は、人びとの生活を豊かなものにする。そしてそんな商品があふれる社会は、幸せな社会であるはずだ–。井上さんはそんなふうに考えている。
「少なくとも僕のまわりにいるクリエイターが、嫌な仕事をせずに、その能力を発揮しながらちゃんと食べていけるようにしたいです。その結果、少しでも世の中が幸せになるかなって思ってるんですよね。」
クリエイターに嫉妬していた。
本来多様である生き方について、単純化して語ることは難しい。けれどあえて単純化を恐れずに言えば、人には自ら実践していくタイプと、そうした実践者をサポートするタイプがいると言われる。
ブランディングプロデューサーとしての井上さんはおそらく後者だ。だが、その発端にあった感情は、憧れと嫉妬が入り混じる複雑なものであったようだ。
「クリエイターのことを、何年か前までは嫉妬していました。『憧れるけど、自分はそうなれない』みたいな。僕は地元が大分の田舎なんですけど、近所に器用な人が多くて、ちゃちゃっと竹とんぼとかの遊び道具をつくっちゃうようなおじいちゃんがいたんですよね。そのおじいちゃんみたいにものをつくれる人を、ちっちゃい頃から「かっこいい」と思っていて。」
「僕も美術で賞をとったりしたこともあるんだけど、周りには僕よりすごい絵を描ける人なんていっぱいいるわけですよ。自分には才能がないと思ってたから、美術系の進路は選ばず、海洋系の大学に進学しました。自分はクリエイターになれなかったから、クリエイターに対してはリスペクトと同時に、嫉妬の感情があったんです。」
憧れの存在と自分との差を目の当たりにして嫉妬してしまうことは、誰もが経験するはずだ。そうした感情が湧いてきたとき、「どうせ自分なんて」と卑屈になる人もいる。
しかし井上さんは違った。大学を卒業後、海事鑑定人の仕事をしたのち、憧れのクリエイターという存在を、プロデュースという自らの能力を通じて輝かせる、という生き方を選んだのだ。
そのきっかけは、企業が生活者からアイデアを募集できるサービスを運営する会社での経験だった。
「その会社で僕は、自治体のコンサルティングを担当してたんです。自治体から依頼を受けて、地域にある商品のブランディングをする仕事です。その時、はじめてクリエイターと一緒に仕事をしたんですけど、クリエイターがのびのびとデザインすると、売上が何倍にもなるということを目の当たりにしたんですよ。もともとクリエイティブの価値を信じてたけど、まさかそれほどまでに売上が上がるとは思っていなかったので、衝撃を受けました。」
クリエイターがのびのびとデザインできたのは、自治体が予算を出すことで、クリエイターとクライアントが対等なパートナーという立場でプロジェクトを進めることができたからだと井上さんは考えた。
では、自治体の予算がつかない案件で、なおかつクライアントの予算も限られている場合に、どうしたらクリエイターの創造性を十分に引き出すことができるのか。
さまざまな方法を調べる中で、井上さんは「レベニューシェア」というスキームにたどり着く。その後、お菓子の企画制作に取り組む会社で「レベニューシェア」 によるお菓子のプロデュースを実践し、そのノウハウを確立してから独立。現在では全国各地で、食にまつわるブランディングプロデュースに取り組んでいる。
「今ではクリエイターに対する嫉妬がなくなった」と井上さんはいう。憧れの対象であるクリエイターと共に仕事をすることで、クリエイティブに関わりたいという自分の欲求を満たすことができているようだ。
さらに、井上さんは、自らもクリエイターである、ということにも気が付いた。
「『てとてと食堂』の活動を始めて、僕が尊敬するクリエイターの方たちに『お前の料理はすごい』って言われるようになったんですよ。それで、『そうか、料理もひとつのクリエイティブだとしたら、僕もクリエイターかもしれない』って思ってね。今ではやっと、憧れのクリエイターたちと同じ目線で話せるようになったかな。」
憧れと、自分のスキルを掛け合わせる。
いま井上さんが構想しているのは、クリエイターとしての自分と、クリエイターを輝かせる自分が交わるような仕事だ。具体的には、場を持つことを通して。
「食を通じてつながりが生まれるスペースを持ちたいんです。これまで自宅で『てとてと食堂』をやるなかで、食の場を通して新しい出会いが生まれて、仕事につながったり、なかには結婚する人もいて。そういう場を作れたことが自分の中で誇りになっていることに気づいたんです。でも今は自宅でやっているから制約も大きくて。だから、どこか外にスペースを持ちたいんですよね。」
「そのスペースには、不遇な料理人さん達の駆け込み寺的な役割も持たせたい。食に関するクリエイターである料理人たちが、ワクワク働ける場にしたいんです。そのためにスペースを無料で貸したり、メニューのアドバイスをしたりと、僕が持っているものはすべて提供するつもりです。」
こうした井上さんの生き方は、おそらく井上さんが憧れたクリエイターでもできないことだ。井上さんは憧れを起点に、自らのスキルをかけあわせ、自分なりの生き方を作り上げている。
憧れを通して、自分を知ることができる。
私たちは決して、憧れの存在と同じにはなれない。
しかしそれは、憧れの存在が必要ない、ということではないのだろう。憧れの存在がいたら、なぜその人に憧れるのかを自分に問うことによって、自分の価値観に気付くことができる。そしてそうして導き出された価値観と、自らのスキルをかけあわせることで、自分なりの生き方をつくっていくことができる。
自分の憧れの存在はだれだろう。
その存在のどんなところに惹かれるんだろう。
その存在に惹かれるのは、自分にどんな価値観があるからだろう。
その価値観と、自分のスキルをかけあわせたら、どんなことができるだろう。
そんな問いを自分に投げかけてみると、憧れを通して、自分なりの生き方へのヒントが見つかるはずだ。
(執筆・撮影:山中康司)