「夢や目標を言葉にしよう」と、よく言われます。
一方で、弱音や悩みはなかなか口にできないもの。でも、むしろ弱音や悩みを口に出せる場所を見つけたことで、あらたなキャリアがひらけていった人がいます。
それが、「地域をケアする街の保健師」として活動する藤澤春菜(ふじはる)さん。現在は都内の地域包括支援センター(※1)に勤務しながら、高円寺の銭湯「小杉湯」でコミュニティナース(※2)をしています。
地域での「人と人とのつながりを通した健康づくり」に取り組むふじはるさん。実は、自身が人との出会いによって、生きづらさから解放されていった経験があるそうで…。
今回は、ふじはるさんの、「人と人とつながりを通じて健康をつくる」生き方に迫ります。
(※1)地域包括支援センター
地域住民の心身の健康の保持及び生活の安定化のために必要な援助を行い、地域包括ケア(住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう、住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供される)の実現に向けた中核的な機関で、市町村が設置している。(※2)コミュニティナース
病院や福祉施設、訪問看護に従事する看護師と異なり、地域の中で住民とパートナーシップを形成しながら、その専門性や知識を活かして活動する医療人材のこと。(参考:「Community Nurse Company」)
人と人のつながりを処方して、健康を実現する
-ふじはるさんは「地域をケアする街の保健師」として活動してますよね。そもそも「保健師」って、どんなお仕事なんですか?
藤澤春菜さん(以下、ふじはる):「人々が自らの健康をコントロールし、改善できるようにするプロセス」のことを「ヘルスプロモーション」っていうんですけど、地域コミュニティの醸成など、人と人とのつながりをつくることを通して「ヘルスプロモーション」に取り組むのが保健師なんです。
-個人に対してだけではなくて、集団や地域コミュニティに対してアプローチしていくわけですね。看護師とはどう違うんでしょう?
ふじはる:看護師は、基本的には病気になった方に関わるんですけど、保健師は病気になった人はもちろん、病気になっていない人にも関わるんですよね。あと、経済状況によって生まれる健康格差を解消するために何ができるかなど、病気のケアだけじゃない視点も持ってるのが違いかもしれません。
-体調がわるかったら点滴をして、怪我したら包帯を巻いて…みたいなケアとは、ちょっと違うんですか?
ふじはる:そういった身体的なケアもやらなきゃいけないときはやるんですけど、どちらかというと、対話を通じてその人の困りごとを整理して、その人自身が本来持っている力(チカラ)を取り戻せるように支援していく、みたいな感じなんですよね。専門的な言葉では、「社会的処方」っていうんですけど。
-社会的処方。
ふじはる:お薬以外の、「人とのつながり」を処方して、その人の健康増進をするっていう考え方です。イギリスでは、社会的処方が制度として定められているんですよね。
たとえば不眠で悩んでる方に、睡眠薬だけで解決しようとするんじゃなくて、眠れていない原因はなんなのだろうと考えます。そうすると、「コロナ禍で閉じこもりがちになった」であったり、「パートナーの喪失を機に日中の活動量が減った」といった背景が関連していることがあります。
そんな時に、その人の好きなことや得意なこと、興味のあることを知って、その人に適した地域コミュニティを紹介することで、もともと持っていた健康を取り戻す、といったことが行われているんです。
地域をケアする街の保健師
-薬ではなく、地域の人と人とのつながりによって健康増進をしていくと。ふじはるさんは、そんな「社会的処方」の取り組みに関わっているんですね。
ふじはる:そうですね。本業は、地域包括支援センターでの保健師の仕事です。高齢者とその家族を対象に、メールや電話や訪問というかたちで相談にのったり、行政などと連携した介護予防のための取り組みを行っています。
あとは高円寺にある銭湯「小杉湯」のコミュニティナースとして活動してます。銭湯で医療職の方と地域の方の対話の場をつくったりとか、主宰していた「小杉湯×医療」に共感してくれた仲間と行っている「小杉湯健康ラボ」のプロジェクトマネジメントとか、地域との微調整とかが役割ですね。
憧れの看護師に。でも、感じた違和感。
-ふじはるさんは、もともとは看護師として働いていたんですよね。どうして看護の道に進もうと?
ふじはる:もともと、「看護師になりたい」とつよく思っていたわけじゃなかったんです。わたし、親の期待に応えるのが自分の役割だ、みたいな気持ちがずっとあって。ちっちゃい頃から、「なにか資格を持っておけば将来困ることはないよ」みたいなことを言われて、「そうだよな」と思ってたんですよね。
あと、有名な病院で働いてる知り合いの看護師さんが、めちゃめちゃ格好よく見えたんですよ。学生時代は、「あそこの病院に行くことで、わたしもあの人みたいかっこよくなれるのかな」みたいに思って。今思えば、そこの病院で働いているから格好いいんじゃなくて、いきいきと働いている姿が格好よかったんですけどね。
-それで、自分も看護師になって有名な病院に入ろうと。
ふじはる:はい。なんか、「看護師をやるなら、急性期病院が花形(はながた)だ」みたいなイメージがあって。倍率も結構高かったんですけど、わたし、面接が結構得意だったこともあって、入ることができたんですよね。
だけど、いざ働いてみると、他のみんなとは目指す先が違ったんです。同期は、「将来はICUとか救命病棟とかで働きたい!」みたいな、すごい意欲を持った人たちで。一方のわたしは、「え、全然救命病棟なんて行きたいとか思わない…」みたいな。
-他の同僚との違いを感じてたんですね。
ふじはる:はい。でも、そのときはまだ社会人になって半年くらいだったから、「一度決めたんだから、3年は頑張んなきゃ!」って思ってたんです。実はわたしがいた病棟は、病院のなかでも花形で、同期50人いた中で40人ぐらい志望して、選ばれた3人のうち1人がわたしだったんです。それで、「この部署にこれなかった人たちの思いも背負ってるんだから、続けなきゃいけない」みたいな気持ちもあったりとか。
だけどだんだん、本当に苦しくなっちゃって。皮膚科にも通わないといけないぐらい湿疹が出てたりとか、夜あまり寝れないとか。身体にも影響が出てきちゃったんですよね。
自分の本音を隠して働くのって、こんなに苦しいんだ
-苦しさを抱えてることは、まわりの人には言えなかったですか。
ふじはる:言えなかったですね。自分だけが違和感を持っているんだと思っていたので。
実は急性期病院で働く前から、地域包括ケアや在宅医療に興味はあったんです。だけど、自分の興味に従うよりも「花形である急性期病院で働かなきゃ」っていう気持ちが強くて、本音を隠して働き始めたんですよね。そんなふうに自分の本音を隠していたこともあって、だんだん苦しくなってしまって。
でも、思い切って病院の外に一歩踏み出してみたら、すごく優しい世界がそこにあったんですよ。
-病院の外、っていうのは?
ふじはる:その頃、「Wasei Salon」っていうコミュニティが、「働くを考えよう」みたいなテーマでイベントをやっていて。おもしろそうだなと思って、参加したんです。
参加者のなかで看護師はわたししかいなくて、「え、看護師さんがこんなところ来るの?」みたいな反応もあったんですけど、なんかすごく優しい人たちばかりで。そのイベントで、いろんな方の話を聞いて、「働くってこんなにワクワクできるものなんだ!」って、衝撃を受けたんです。
-それまでは、働くことはワクワクするものじゃなかったんですか?
ふじはる:もちろん看護師は大切な仕事だし、やりがいもあるんです。だけど、すごく優秀な先輩でも、ぼろぼろになるまで働く姿を間近で見てたんですよね。その人なりによろこびを感じているのかもしれないですけど、わたしには当時、まわりの看護師があまり楽しく働いているようには見えなくて。
わたし自身、当時は次の日が来るのがめちゃめちゃ憂鬱、みたいな感じだったんです。病院に行けば、本当に、いつどこで患者さんの容態が急変して、死んでしまうかもわからない。異変をひとつでも見逃してしまったら、自分のせいで人が亡くなってしまうわけですし。
-看護師はやりがいはあるし意義もあるけれど、ふじはるさんにとって「楽しく働く」とはちょっと違う仕事だった、というか。
ふじはる:そうですね。でも病院の外に出てみたら、働くことを楽しそうに語る大人たちがいて、「あ、こういう世界があるんだ」って。
そんな世界を知ったら、余計に病院にいることが苦しくなってきちゃって。1カ月ぐらい休職してから、もう「わたしがいきいき働けるのは、病院じゃないな」と思って、1年ぐらいで辞めることにしました。「自分の本音とか好きなことを隠して働くのって、こんなに苦しいんだ」って気づいたのが、その病棟勤務時代でしたね。
旅を通して生まれた縁が、やりたい仕事との出会いにつながった
-そこから今の仕事には、どうやって至ったのですか?
ふじはる:はじめから地域包括支援センターの保健師になろうと思っていたわけではなくて。旅をするようにいろんな人に会って、話を聞いていたら、最終的に見えてきたやりたいことが「地域の保健師」だったんですよね。
-旅をしてたんですね。
ふじはる:はい。病院を辞めてから、時間があったので、結構がんがんと。Twitterで「転職活動中です」みたいなことを書いたら、福祉環境設計士として「地域×福祉」の活動してる藤岡聡子さんという方が「ちょっとお茶しようよ」って言って声かけてくれて。その場で、福井で地域医療の活動をしてる方につないでくれたから、ひとりで福井に行って、あちらの地域医療とかも見させてもらったり。
-Twitterで出会いがひろがっていったんだ。
ふじはる:そうですね。あとは、訪問看護ステーションも、高円寺だけじゃなくて、府中にある知り合いのところに行かせてもらったりとか。本当、いろんな人に話を聞かせてもらって。私にとっては、素敵な出会いが連続していた時期でしたね。
-そんな旅のなかで、高円寺とも出会ったと。
ふじはる:はい。はじめは「わたしがやりたいのは訪問看護かな」って思ってたんですけど、たまたま高円寺にある訪問看護ステーションが、Twitterで私のことを知って、連絡をしてくれたんです。それで、そこの所長さんと話してくうちに、「地域で人のつながりをいかしたケアをしたいみたいだけど、そしたら地域包括支援センターじゃない?」って言われて、「あ、そうなのかな?」って。
そのときたまたま、今の職場である地域包括支援センターが保健師を募集していたんですよ。それで、応募して面接に行ってみたら、初めてわたしがやりたいことを、本音で話せた気がしたんです。
-それまではあまり本音で話せなかったんですか?
ふじはる:そうなんですよね。それまでもいろんなところの面接を受けてたんですけど、受かるように頭で考えながら答えていたんだと思います。でも、はじめて自分の心からというか、腹から出る言葉でしゃべれた感覚があって。そこにいた面接官のひとりが、今の先輩なんですけど、「保健師として大事にしていることは何ですか?」みたいな逆質問をしたりとかして。多分すごく偉そうに聞いちゃったと思うんですけど、それに対して、すごく共感できる答えをくれたり。それで、この人たちと一緒に働きたいなと思ったんですよね。
小杉湯のコミュニティナースに
-小杉湯との関わりはどのようにして生まれたんですか?
ふじはる:訪問看護ステーションの見学に行くとき、はじめて高円寺に来たんです。そのときに、なんかすごい呼吸がしやすいまちだなぁ、と思って。商店街がある感じとか、建物が高くない感じとか。なんかすごく「受け入れてくれそうなまちだな」、みたいに思ったのを覚えてます。
それで、Twitterで高円寺に小杉湯っていう銭湯があって、そのファンたちが「銭湯ぐらし」っていう会社を立ち上げたと知って。ホームページをみたら、「銭湯は子どもから大人まで、多世代の人が集う場所。お風呂に入るだけじゃなくて、健康増進とか、いろんな可能性があります」みたいに書いてあったんです。それを見て、「え、これ、めちゃくちゃ私のやりたいことじゃん!」みたいに思って。
-すごい。ご縁がつながっていく。
ふじはる:で、「銭湯ぐらし」のイベントではじめて小杉湯に来て、「あわよくば、ここに関われたらいいな」って思ってたんですよ。そのとき、病院を辞めるタイミングで、寮を出て行かなきゃいけなかったこともあって、「わたしの場所はたぶん高円寺だと思う!」と思って、転職先はまだ決まってなかったんですけど、先に引っ越しちゃったんですよね(笑)。
-仕事が決まる前に、引っ越したんですね。
ふじはる:そうなんです。そのあとFacebookで、小杉湯3代目の平松佑介さんから「よろしく!」ってメッセージが来て。実は佑介さん、社会的処方に小杉湯として取り組んでいきたいと思ってたらしくて、その旗振り役がいなかったので、「よろしく、じゃあ君は小杉湯のコミュニティーナースだ」みたいな感じで、いきなり言われたんです(笑)。それで、小杉湯でも活動をするようになったんですよね。
自分自身が、人とのつながりを通してケアされていった
ふじはる:人から見ると、わたしって多分、「人のケアをする側」みたいな感じに思われていると思うんです。だけど、正直わたしは高円寺に来てから、いろんな人と出会うなかでケアをされて回復してきた、ケアされる側の人間でもあるんですよね。
-ふじはるさん自身が。
ふじはる:はい。
病院で勤めていたときに、かなり苦しい状態だったこともあって、当時は結構、働くことに絶望していたんです。まわりから見れば、看護師時代も1年目ぐらいとしては十分なレベルでいたんですけど、ナース服を着てる自分があんまり好きじゃなくて。「なんかうまく馴染めない」、「だけど、そんな弱音を吐いちゃダメだ」みたいな気持ちもありました。
-そうか。ふじはるさん自身が弱音を。
ふじはる:うん、吐けなくて。ずっともう、体にいろんな症状が出るようになっちゃってたんです。でも、小杉湯にきたら、なんていうか、すごく呼吸がしやすい感じがしたんですよね。わたし、小杉湯の番頭兼イラストレーターとして活動していた塩谷歩波ちゃんの、「銭湯は人の弱さを許す場所」という言葉がすごい好きで。
-弱さを許す場所。
ふじはる:わたしが主催で「銭湯×医療」をテーマにしたイベントを小杉湯で開催したんですけど、企画から参加者の管理まで、全部一人でやっていたので、「うわー、もう無理!」ってなっちゃって。そのときに、小杉湯の2階の事務室で、佑介さんに「わたしもう無理です…」みたいな感じで、泣きながら。
-弱音を吐いたんですね。
ふじはる:はい。そしたら佑介さんが、「じゃあもう、ふじはるのお悩み相談をイベントの中でやったら?」とか言い始めて。最初は「この人、なに言ってるんだろう?」って思ったんですけど(笑)。とりあえずやってみたら、それがすごい反響がよかったんですよね。
-参加者の方も、弱音を受け止めてくれたんですね。
ふじはる:そうなんです。それで、「ああ、ここは自分をさらけ出して大丈夫な場所なんだな」って、思えるようになって。そのときにやっと、塩谷ちゃんの「人の弱さを許す場所」っていうことがわかった気がしました。だから結構、小杉湯ではピーピー弱音を吐きながら活動してます(笑)。
-逆にいうと、そういうその弱さを出せない場や関係性はくるしいですよね。
ふじはる:はい。なんか、それまでは弱さを誰にも出しちゃいけいないと思ってて。でも、だんだんとそういう呪縛を解いていってもらえた感じはありますね。
-小杉湯の人たちに。
ふじはる:小杉湯のみんなもそうだし、「Wasei Salon」のみんなとか、Twitterで出会った人とか。それまで相談される側になることが多かったんですけど、自分が相談する側になって、弱い部分も出せるようになって、すごく生きやすくなったなと思います。呼吸のしやすい人とまちに出会って、回復していったんですよね。
-「人と人とのつながりを通しての健康」ということが、ふじはるさんのテーマだと思うんですけど、自分自分が人と人とのつながりを通してケアされた経験があったんですね。
ふじはる:うん、そうですね。だから今こうして、本気で「人と人とのつながりを通しての健康づくり」の可能性を信じているのかもしれないです。
「こう生きるべき」という意見は、聞き流していい
-最後に、ProffMagazineではみなさんに聞いているんですが、いわゆる「履歴書」のあり方について、思うことはありますか?
ふじはる:なんか履歴書って、「こういう経歴であるべき」みたいなレールがある気がするんですけど、わたし、そういうレールから外れるのが怖かったんですよね。高校も、偏差値の高いところを選んだし、就職先も周りが憧れるようなところを選んだし。
で、初めてレールの上から足を踏み外したのが、病院を辞めたときだったんですよ。でも、いざ外れてみたら、「意外と大丈夫じゃん」って、すごく思ったんですよね。
-怖かったけど、大丈夫だったと。
ふじはる:なんかむしろ、肩の力抜いて生きれるようになったというか。「やりたいことをやればいいじゃん」と思えるようになったんです。
今では、キャリアに悩んでる看護師の方の相談に乗ることもあります。なかには、一度選んだ道から外れてしまうことが怖いと思ってる人もいるけど、「思っているより大丈夫だよ」って伝えたいですね。失敗するのが怖くて踏み出せない人、いっぱいいるんじゃないかと思うんですけど、まあ、失敗したら失敗したで、看護師という資格があるから戻ればいいし。意外と失敗しても大丈夫(笑)。
-どうしてふじはるさんは、大丈夫だと思えるんですか?
ふじはる:わたしの場合、絶対味方になってくれる人っているから。たとえばわたしがもし、何かの間違いでミスマッチなところに転職しちゃって、もう1回心が苦しい状態になったとしても、長野の実家に帰れば家族がいるし。小杉湯にくれば、みんながいるし。わたしにとっての実家や小杉湯みたいに、自分が安心できる場所があれば大丈夫だよって思うんです。
-それこそ、ふじはるさんが大切にしてる、人と人とのつながりによる健康、ですね。
ふじはる:そうですね。本当、自分がこの人といたら居心地いいなと思う人と一緒にいれば、意外と大丈夫っていうか、死なないというか。
-いわゆる、「履歴書の空白」があったりしても。
ふじはる:はい。「3年は働きなさい」とか、「ここで頑張れなかったらほか行っても同じだよ」とか、言ってくる人はいると思うんですけど、そういう人には心のなかで中指立てておけばいいと思ってて(笑)。
わたしも転職しようか悩んでいたとき、「そんなやつには中指立てて聞き流しとけばいいんだよ」みたいなことを、「Wasei Salon」のあるメンバーが言ってくれて、「あ、そうか」と思って、一歩踏み出せたので。当時のわたしと同じように悩んでる人にも、「踏み出しても、意外と大丈夫だよ」って伝えたいですね。
インタビューを終えて
インタビュー中、何度も「高円寺にきて、呼吸がしやすくなった」と語るふじはるさんの姿が印象的でした。
なんとなく呼吸がしやすくなる、街や空間や人。そこはおそらく、僕らの強さも弱さもふくめて受け止めてもらえる場所。そういう場所と出会えることは、僕たちが心身ともに健康に生きていくうえで、大切なことなのかもしれません。