大切な人との食事が、「自分は生きていていいんだ」と気づかせてくれた。 旅するおむすび屋・菅本香菜の「食べることの喜びを、たくさんの人と味わう」生き方
#033

大切な人との食事が、「自分は生きていていいんだ」と気づかせてくれた。 旅するおむすび屋・菅本香菜の「食べることの喜びを、たくさんの人と味わう」生き方
旅するおむすび屋 菅本香菜

忙しい日々のなかで、カップラーメンをせかせかと胃に流し込む。
そんなとき、僕たちにとって「食べる」という行為は、単に胃袋を満たすため、栄養を摂取するためのものになっています。

でも、何気なく食べる食事の向こうにたくさんの人がいて、そのつながりをたしかめながら食べることで、生きることの喜びがひろがってくる–。

そう気づかせてくれたのが、「旅するおむすび屋」として活動する菅本香菜(すがもと・かな)さんです。

菅本さんは、全国各地を飛びまわりながら、食に関わるイベントの企画・運営や、その土地ならではの食材のPR、書籍の制作などに取り組んでいます。

そんな菅本さんが「食」に関わるようになった背景には、中学・高校の6年間、拒食症だった経験と、そこから得た大切な気づきがありました。

今回は菅本さんの、「食べることの喜びを、たくさんの人と味わう」生き方に耳を傾けてみます。

旅するおむすび屋

-「旅するおむすび屋」って、とてもユニークな肩書きですよね。どんな活動をしてるんですか?

菅本さん:ありがとうございます。主な活動としては、全国各地を巡りながら、その土地の食材を使ってその地域の方と一緒におむすびを結ぶイベントをやっています。たとえば、中学校や高校の家庭科の授業にお邪魔したり、自治体の方と一緒に地域の食材をPRするためのイベントを企画したり。

-みんなで一緒におむすびをむすぶイベント、楽しそうですね! そこから派生して、イベント以外の活動もしているんだとか。

菅本さん:そうなんです。全国いろいろ巡っているので、各地で見つけた生産者さんの思いがこもった食べ物や商品を「GOOD EAT CLUB」というECサイトで提案させてもらったり。ちょっとバイヤーに近いような仕事ですね。

あとは、その地域の食とか観光の魅力を伝えたい自治体さんのPRの企画を一緒に考えさせてもらったりとか。それと、今頑張ってるのは本づくりです。

-そうだ、たしか本づくりのクラウドファンディングをやってましたよね。

菅本さん:そうなんです。47都道府県をまわって、その地域の食文化をおむすびを通して深堀りしてまとめる本なんですけど。2021年にクラウドファンディングに挑戦して、ありがたいことに474名の方から約460万円の支援をいただけたんです。今、なんとか2022年中に出版できるように、全国をまわっているところです。

-それは楽しみだなぁ。でも、47都道府県まわるのって大変じゃないですか?

菅本:本当に大変で! まわりはじめてから、「思った以上に大変だ」ということに気がつきました(笑)。生産者さんとか、その地域の人と話したりご飯を食べたりするのが楽しすぎて、ひとつの地域にすごく時間使っちゃうんですよね。

 

中高時代に経験した、6年間の拒食症

-「旅するおむすび屋」の活動をはじめる背景には、中学生と高校生のとき、6年間拒食症になった経験があったそうですね。

菅本:はい。幼少期までさかのぼってしまうんですけど、わたし、小学校のころから、周りの人の顔色をすごくうかがっていたんです。「人にされて嫌なことは、絶対にしちゃいけない」という教えを信じすぎたことも影響してると思うんですけど。

たとえば「死ね」って、ふざけて言う子もいるじゃないですか。わたしはそういう言葉をかけられると、「この人は本当に自分のこと死ねって思ってるのかな」と思って、すごく落ち込んじゃったりとかして。

-冗談だとしても、正面から受け止めてしまっていたんですね。

菅本:はい。だから、「誰かに何か言われたらどうしよう」ということばかり気になっちゃって。だけど、中学で入部したバレー部で、陰口が絶えなかったんですよ。それであるとき、自分に陰口が向いたことに耐えきれなくて、肺炎で学校を長期で休んだことをきっかけに部活を辞めちゃったりとか。

そんなふうに、周りの顔色を気にしすぎている自分自身のことも、好きになれなかったし。本当にあの頃は、コンプレックスのかたまりみたいな感じでしたね。

-そうか、そんな自分のことも好きになれなかったんですね。

菅本:なれなかったです。周りの目ばかり気にしているのが嫌いで。だけど反抗期だったから、そんな弱さを家族にも打ち明けられなくて。学校でも家でも、どこにも居場所を感じられないような状態でした。

そんななか、中学2年のとき、知人に何気なく「足太くなったんやない?」と言われたんですよ。その言葉が、すごくひっかかってしまって。

それまでは、体型に関しては「痩せてるね」とか「スタイルいいね」って言われてたんです。だから、「少しでも周りから認められていることがなくなってしまう!」という危機感から、「ダイエットしなきゃ!」と。それが、拒食症になった大きなきっかけでした。

食べるのが、こわい。

菅本:当時、「夕方5時以降に食事をしない」というダイエット方法が流行っていたので、家族がまだ家に帰ってきていない5時前に、1人でご飯を食べるようになったんです。

毎日体重計に乗って、減り続ける体重を見て、安心して。そしたら、エスカレートしちゃって、どんどん食べる量が減っていって。気がついたら、ガムを噛むことすらこわくなっていました。

-ガムを噛むことまで。

菅本:はい。親がつくってくれるお弁当も当然食べられないから、友達にあげていて。それでも残ってしまったものは、「ごめんなさい…」って、泣きながら飼い犬にあげてました。食べるのも罪悪感があるし、食べなくても罪悪感があるような状態で。

-食べても食べなくても、くるしい。葛藤があるような状態だったんですね。

菅本:そうなんです。だから、そもそも「『食べる』っていうことがなくなればいいのに」と思ってました。そうすれば、葛藤がなくなるし、誰からも「食べろ」と言われないし。

やっぱり、すごく痩せてるのに食べないと、「なんで食べないの?」って言われるし、そういう目で見られるんですよ。それも苦痛で。だから、「食べる」ということ自体がなくなれば、そういうふうに思われなくても済むのにな、って。

-それはもう、この世からなくなればいいと?

菅本:そうですね。それぐらい思ってたと思います。それで、当時はほぼ食べ物を食べてなかったので、身長は160cm近くあったけど、体重は23kgまで落ちてしまっていました。

-160cmで23kg…それで、お医者さんに?

菅本:はい。当時まだ中学2年生だったので、小児科に行ったんですけど、そこで拒食症だと診断されて。「いつ死んでもおかしくないよ」と。けっこう、摂食障害で亡くなる方って多いらしいんです。身体機能も低下しちゃうので、合併症も起こしやすいらしくて。

骨と皮みたいな状態で、脈拍も弱くなってるし、脳も委縮してたみたいです。「心の病気だけじゃなくて、もう身体自体が弱ってきているよ」って、お医者さんから言われてました。

生まれてきてごめんなさい。

 

菅本:今でもめちゃくちゃ覚えている出来事があって。いつもは本当に仲の良い両親が、わたしのせいで喧嘩をしてしまった日があったんです。

その日。家族で商業施設に行ったんですけど、周りから「え、あの子痩せすぎやない?」っていうような声が聞こえてきて。

それもあったからか、商業施設の中でランチをしていたとき、ドリンクバーのお茶ばかり飲んでいたわたしに、父親が「食べんと死んでしまうよ、食べようや」と少し怒り気味で伝えてくれて。それに対して母は「食べたくても食べられんのよ」と父に反論して、商業施設の前で大喧嘩になってしまって。

家族みんな、いつもわたしに寄り添おうとしてくれていたんですけど。相当気を使わせてしまってるのもわかっていたから、やっぱりそういう光景を目の当たりにしてしまうと、生まれてきてごめんなさい…と思ってしまいましたね。

自分自身が今、誰にとってもプラスになってないなっていう。家族は、「生きてくれているだけでいいよ」って言ってくれるけど、正直絶対マイナスしかないじゃんって、やっぱり自分では思っちゃうから。本当に、自分の存在意義みたいなものがまったくわからない、っていう状況でしたね。

-そうか。自信を保つために食べないようになったのに、余計に自信がなくなる、という…

菅本:そうです。負の連鎖というか、もう沼にはまっていくみたいな感覚だったなと思います。親も喧嘩するし、学校でももちろん上手くいかないし。

なんか、「生きててよかった」って思う瞬間がまったくないという感覚はあったと思います。「なんで生まれてきたんだろうな」みたいなことまで思ってた時期ではありましたね。今考えると、めっちゃしんどかったなぁと。

自分は生きていていいんだな。

-どうやって、そういった状況から抜け出していったんですか?

菅本:ある友人との出会いが大きいです。わたし、1年間休学しているので、高校2年生を2回すごしているんですけど。2回目の高校2年のとき、同じクラスになった子がすごく仲良くしてくれて。その子は、わたしが食べないことを気にせず、普通に接してくれたんですよ。

-普通に、というのは?

菅本:一緒に食事したときも、無理やり食べさせようともしないし、「なんで食べないの?」っていう顔で見ることもない。逆に食べたからといって、「すごいね」って褒めるわけでもない。わたしがそのまま、そこに存在することを認めてくれたんです。

-そのまま、そこに存在することを認める。

菅本:それまでは、普通じゃないというか、欠陥がある人みたいな感じで接されることの方が多かったんですね。でも、その子は摂食障害があるからとかいうこと抜きで、「菅本香菜」という存在を認めてくれてたっていうことが、すごくうれしくて。

だんだん、その子が食事する場にいられるようになって。最初はわたしは食べてなかったんですけど、「その場をもっと楽しみたい」って思って、少しずつ食べられるようになっていったんです。そんなふうに、「自分が生きててもいいんだ」と思える時間ができたのは、すごく大きかったですね。

-生きていてもいいんだと。

菅本:はい。血がつながっているからとか、障害があるとか、そういうこと関係なしに、1人の人として見てくれる人がいることって、「自分が生きててもいいんだ」という実感を持つためにすごく大事だと思うんです。そんな実感を持つことができたのが、摂食障害が治ることにつながったのかなと思います。

それから、無事に大学入学後に拒食症が完治して。家族とも友達とも笑ってご飯を食べられるようになって、心まで元気になりました。

-小さい頃から人の顔色を伺っていたのが、ありのままの自分を受け入れてくれる人の存在によって変わっていったんですね。

菅本:そうですね。きっとずっと、人に受け入れてもらえるための理由がないと不安だったんです。「痩せていなきゃいけない」とか、「テストの点数が高くなきゃいけない」とか。

でも、「あぁ、別にそういうのがなくても、ありのままの自分を受け入れてくれる人がいるんだな」って。その気づきは、自分のなかでも支えになりましたね。

食べることは生きること。そして生きる喜び。

-「生きててよかった」と思える瞬間がなかったと言ってましたが、今はそう思える瞬間はありますか?

菅本:今はもう、いっぱい思います。いろんな瞬間に。みんなが「美味しい!」っておむすびを食べてくれるときもすごく幸せですし、自分が美味しく食べてる瞬間も、「今日も生きててよかったわ〜!」って思うんです。

-最近も、そんな瞬間はありました?

菅本:なんでしょうね…。やっぱり、子どもたちと一緒におむすびワークショップをやるのがすごく好きな時間なんですよ。子どもたちが楽しそうに、おむすびをむすんで、自分で食べたり、つくったおむすびを誰かに渡してあげてたり。そういう姿を見ていると、本当に嬉しいですね。

わたしは、食べることに悩んだけど、救われもしたと思っていて。だからこそ、食べることの喜びを、子どもたちの世代にも伝えられたと感じる瞬間は、恩返しができた気持ちになるんです。

-食べることに救われた、というのは?

菅本:食べられない状態から、だんだん食べられるようになっていくと、明らかに身体も元気になるし、心もどんどん元気になっていくんですよ。それで「『食べる』って本当にすごいな」って心から思って。一度「食べる」がゼロになったからこそ、そこが満たされ始めたときに、こんなに人生を豊かにするものなんだなと気が付くことができたんです。

-単に栄養を摂取できるだけじゃなくて、食べることを通じて心も豊かになると。

菅本:食べる場って、コミュニケーションの場でもあるじゃないですか。人とご飯を食べることができなかったときは、家族と食卓も囲みづらかったし、友達とも遊びに行っても一緒にご飯を食べることができなかった。

でも、大学に入って、サークルの新歓に行ったとき、本当に楽しくて、「みんなでご飯食べるのってこんなに楽しかったんだ!」みたいな。みんな当たり前のようにやってきたことだと思うんですけど、6年間拒食症だったわたしからすると、新鮮な感覚だったのはすごく覚えています。

-かつては「食べることなんてなくなってしまえばいいのに」と思っていたけど、食べることの見え方が大きく変わってきたんですね。

菅本:そうです。今では、食べられなかったときの感覚は少しずつ薄れてきていますけど、やっぱり1食1食、めちゃくちゃ大事にしたいっていう気持ちはつよいんです。ごはんを食べに行っても、「今日何食べようかな」って、すごい迷ったりしちゃって(笑)。

人生って本当、毎日の積み重ねだから、豊かな食べる時間がちょっとずつ積み重なっていくと、人生も豊かになるなって思うんです。

-菅本さんはブログで、「『食べることは生きること。そして生きる喜び』だということを1人でも多くの方に共有する」ことが目標だと書いていました。そのこととも通じそうですね。

菅本:はい。食べることって、本当に生きるということに直結してるって、「いつ死んでもおかしくない」という状態になったからこそ思うし。栄養を摂取するだけじゃなく、生きることの喜びにもつながっている。食べることを通して、人ともつながれるから。

一緒に食卓を囲んでいる人ももちろんですけど、料理をつくってくれている人だったりとか、生産者ともつながることができるじゃないですか。「この海苔はあの人がつくったんだよなぁ」って。そんなつながりを感じられると、食べることを通して「自分はひとりじゃないな」と思える。そんな意味でも、生きる喜びにつながっているなと、すごく思うんです。

–あぁ、そう考えると「おむすび」っていい言葉ですね。人と人とを食がむすんでいる。

菅本:そうなんですよね。かつて自分が、「なんで自分は生きてるんだろう」と思っていたときも、食べることを通して「本当はすごくたくさんの人たちに支えてもらって生きてたんだな」ということを、食べることを通して気が付くことができたんです。

だから、「食べることは生きること。そして生きる喜び」ということを感じる瞬間に出会い続けたいし、それを皆さんとシェアしたいって、旅するおむすび屋を始めたときから、今も変わらず思っています。

苦しんだ経験がある人は、やさしくなれる。

-ブログで書かれていた「自分の経験が、自分みたいに苦しい経験をした人のヒントになれば」という言葉も印象的でした。

菅本:摂食障害を経験した人だけじゃなく、人それぞれモヤモヤや、コンプレックスを抱えていると思います。そういう方にとって、わたしの経験を知ることが、「今悩んでいる時間が無駄じゃないんだな」と思うきっかけになれればいいなと思っていて。

わたしも正直、摂食障害になってた経験を誰にも言わずにいる選択肢もあったんですよ。心の病気を持っていたことを伝えて、「嫌われたらどうしよう」とか、「弱い人間って思われたらどうしよう」と思って、なかなか言えなかったんですけど。でも、大学時代に思い切って伝えてみたんですね。

-言ってみたら、どういうリアクションが?

菅本:すごく理解してくれようとしてくれました。「大変だった経験があるからこそ、できることってあるんじゃない?」って言ってもらえたりして、わたしも「たしかに!」みたいな。

-大変だった経験があるからこそできること。たとえばどんなことですか?

菅本:きっと、やさしい人になれると思うんです。大変な経験をしている人のほうが、同じように悩んでいる人へのやさしさも持てると思う。きっと、今まさに苦しい経験をしてる方や、過去にそういう経験があった方は、やさしい人なんだろうなと思います。

それに、悩んでいるときって、一番自分と向き合う時間だと思うんです。そういう時間を経た人は、自分をきちんと知れるというか。ある意味悩んでいるときは、自分の使命というか、自分が「これをやりたい」って思うことに出会うための準備期間なのかもしれない。

だから、わたしの話が、今苦しんでいる人たちが自分と向き合うヒントになったりしたら嬉しいです。わたし自身も、摂食障害を克服した人のブログにすごく救われていたので。

-この記事も、実際に苦しんでいる方にも届くといいですね。

菅本:そうですね、本当に。

 

インタビューを終えて

取材前、菅本さんがむすぶおむすびをいただきました。湧いてきたのは「美味しい」と同時に、「うれしい」という気持ち。

このおむすびのむこうに、菅本さんや、米農家さんや、海苔漁師さんがいる。食べることを通して「自分はひとりじゃない」ということを、言葉ではなく感じることができたから、身体が喜んでいたのだと思います。

人と関わることがむずかしい今だからこそ、食べることのよろこび、そして生きることのよろこびを、日々味わっていきたい。そう感じた取材でした。

ABOUT

Proff Magazineは、
スマート履歴書「Proff(プロフ)」が運営する、
誰かの人生を通じて、
あなたの生き方を再発見する、ウェブマガジン。

Proff(プロフ)は
履歴書やポートフォリオサイトを
簡単につくれるサービスです。