承認欲求を超え、身近な人の夢を応援し続ける。 / 株式会社CHARLL’S 樫原正都
#020

承認欲求を超え、
身近な人の夢を応援し続ける。
株式会社CHARLL’S樫原正都

「あなただけの履歴書を、つくってみてくれませんか?」

Proff Magazineでは、履歴書の自由なあり方を考えるために、さまざまな分野で活躍する方にそんなお願いをしてみることにしました。

今回お願いしたのは、株式会社CHARLL’Sの代表として和歌山県で地元企業の発信を行う樫原正都さん。

新卒で大手アダルトコンテンツメーカーに就職し、制作職や営業職などを担当したのち、地元・和歌山にUターンしたという経歴を持つ樫原さんですが、地元で活動していくことを決意してからも様々な葛藤を抱えながらの日々だったと言います。 

樫原さんの履歴書から見えてくる、“承認欲求を超え、身近な人の夢を応援し続ける”生き方とは?

和歌山を愛する人にこだわったクリエイティブやPR

-まずは現在の樫原さんの活動を教えていただけますか?

樫原:今は、株式会社CHARLL’Sという会社を立ち上げて、地元企業さんのWebやSNS発信の手助けや、商品にまつわるクリエイティブのディレクションを主にさせてもらっています。基本的に、案件ごとに外部のデザイナーやカメラマンとチームを組んでお仕事していますね。

-関わるデザイナーやカメラマンといったクリエイターの方たちも和歌山の人なんですか?

樫原:はい。基本的には和歌山在住、もしくは和歌山出身の方ですね。ここは大切にしているところで、和歌山のことを分かっていて、きちんと地域に愛着と思いがある方のみ起用させてもらう形をとっているんです。

-なるほど。和歌山に思い入れがない人よりも、ある人にお願いしたいですもんね。

樫原:県のPRに関しても、僕は和歌山のことこそ和歌山の人がPRするべきだと思っていて。今、「WHITE EYE PROMOTION」というプロダクションを立ち上げ、和歌山県内のモデルやクリエイターなどのインフルエンサーを応援することに力を入れています。

-具体的にはどんな取り組みなのでしょうか?

樫原:和歌山の次世代のPRパーソンを生み出す取り組みです。和歌山のことが好きで、発信したいと思っている人たちを発掘して、県民みんなで応援をしながら伸ばしていきます。一過性のものにならない、和歌山で全てが回るようなPRの新しい形を作るために、企業さんと連携して始めました。

-おもしろいですね! 和歌山が好きな若者が増えるキッカケにもなりそう。

樫原:そうですね。あとは、もともと民宿だった建物を改装して、あらゆる世代の人が交流できる「フラット」という場の運営もやっています。都心から農業体験をしたいという大学生を受け入れて、地元の農家さんとの交流の場を作ったり、都会と田舎の情報交換ができるようにしたりしているんです。

 

見たことがない世界を見るためにアダルト業界へ

-今は地元でバリバリ活動している樫原さんですが、就職の時に一度上京したんですよね。

樫原:そうです。当時は地元から外に出たい一心だったんですよね。

実は公務員試験に合格していたんですけど、本当にそれでいいのか迷っていました。そこで、当時僕が知っている中で一番クレイジーな会社だと思っていたアダルトコンテンツメーカーのソフト・オン・デマンド、通称SODが新卒募集していたので、勇気を出して応募したんです。内定が出たのが、大学4年の3月15日でした。

-えっ! 卒業直前じゃないですか(笑)!

樫原:そうなんです(笑)。ぎりぎりまで悩んで、「いや、やっぱり行くしかない」と思って、次の週には東京に住んでいましたね。見たことのない世界への好奇心が強かったんです。

-すごいですね。そこには地元へのどこかネガティブな感情みたいなものがあったのでしょうか。

橋原:完全にそうですね。みかん以外何もないし、おもしろくもないし、自慢できるところがないと思っていました。「地元どこ?」って言われて、大阪って答えることもありましたし。今振り返ると、何にも知らなかったんだなと思いますけど。

 

僕はクリエイターにはなれない

-SODに入社してからは、だいぶ刺激的な社会人生活を過ごされたんじゃないでしょうか。

樫原:あの頃のおかげで今の自分があると思いますね。はじめはADとして制作に入って、現場を走り回ったり、セットの内装を研究して場を作り込んだりしていたんですが、そのあと営業部に異動になったんです。

もともと僕、神戸にいた大学時代に、友人とのジャンケンに負けて4年間アダルトビデオショップで働いていたんですよ。その経験もあって業界や商品のトレンド、他メーカーのことを把握していたのもあり、即戦力として配属されました。

-まさに運命を変えるジャンケンですね(笑)。営業ではどんなことをやっていたんですか?

樫原:基本的にDVDは委託販売なので、お店の方と仲よくなって、自社のDVDが手に取られすいように導線的にいい場所を確保したり、販売スキルのレクチャーをしたり。女優さんのサイン会イベントや握手会の企画・運営・MCも全てやっていましたね。

ありがたいことに上司にも恵まれて、結果も出るようになって。そんな中、社内立て直しにあたって営業部の社員がほとんど辞めてしまったことがあったんです。そこで平社員だった僕が、営業部の課長として総括を任されました。

-社内が混乱状態のときに、樫原さんは会社を辞めようとは思わなかったんですか?

樫原:僕も辞めようと思っていました。でも、当時のオーナー・高橋がなりさんに「どうせお前も逃げるんだろ?」って言われたんです。その時に、これを立て直したら自分も成長できるのかなという思いがよぎって、「いや、ちょっと頑張ってみます」と返事をしたのがひとつのターニングポイントだったのかなと思いますね。

-そこから営業課長としてのさらに忙しい日々が始まるわけですね。

樫原:そうですね。当時は本当に辛かったです(笑)。営業の人数が減ったことで売上が落ち、制作と販売の連携が取れていない問題も浮彫りになりました。実はもともと、自社商品への愛着が少ない営業マンが多かったんです。お店からいかにDVDをはけさせるか、という営業スタイルなので、1本1本の作品を観ていないことも多かった。

このままではいけないと、制作側と積極的に会議を持つようにしました。そこで「監督がどういう思いで作品を作ったのか」とか「どういう売り方をした方がいいのか」を聞くうちに、僕自身はクリエイターではなく伝える側なんだなと思ったんです。

-そう思うに至ったのはなぜですか?

樫原:全てを犠牲にしてまで1つの作品を作り上げる、圧倒的な熱量ですね。それを僕は出せないなっていう。

正直、クリエイターに対する憧れがずっとあったんです。でも、制作者の意図や女優さんたちの覚悟、パッケージでは汲み取れない部分をきちんと形にして販売側に伝えること、そしてその反応を制作側にフィードバックし、次の作品作りに活かしてもらうこと。そうやって販売と制作の架け橋になるのが僕の仕事なんだと、ようやく見えてきて。

女優さんにとっても、アダルトビデオは今や自己表現の場になっている。いろんな罵声を浴びたり勘違いされたりしながら、人生を賭けているわけじゃないですか。1本1本血が滲んでいる。だからこそ、クリエイターとしてリスペクトがありますし、いいかげんに売っていい商品なんて1本もないなと思いましたね。

 

「お前の守ろうとしているものは何だ?」という問い

– そんな充実した日々を送っていたなか、SODを退社するきっかけは何だったんですか?

樫原:ある程度結果が残るにつれ、みんなが頼ってくれるようになって、怒ってくれる人がいなくなったんです。このままでいいのかなという気持ちのときに見つけたのが、「みかんの消費量、コタツと共に減少」「みかん消費、20年間で半減」という記事でした。みかん農家の息子で、幼い頃からすぐそばにみかんがあった僕は愕然としてしまって。和歌山にUターンをするという選択肢が生まれた瞬間でしたね。とはいえ、職場に大きな不満はないし、悩みに悩んでの決断だったんですけど。

 

– 安定した職場を捨てて地元に帰るのは、かなり覚悟のいる決断ですよね。その背中を押したのはどういう思いだったんでしょうか。

樫原:これもまた、高橋がなりさんの「お前が守ろうとしているのものはなんだ?」という言葉なんです。いまだに強烈に印象に残っていて。

「そのプライドとか怖さとか、得体の知れないものは、未来に得られる素晴らしいものを捨ててまで守らなあかんのか」って言われたとき、別に飯食えなかったらまた就職すればええやん、今やれることをやろうと思えたので、退社を決めました。

– かっこいいですね……。そこからすぐに和歌山で活動を?

樫原:実は、退社した直後はまだ完全には踏ん切りがついていなかったんです。有給消化中にいろいろ考えるつもりで和歌山に帰ったら、ちょうど1500年くらい続く地元の五穀豊穣を願ったお祭りの練習期間で。ふらっと見に行ったら、同級生がお祭りの長をやっていたんです。

-当時おいくつの時ですか?

樫原:27歳のときですね。「帰ってきたんか」と声を掛けられたことがきっかけで、農家になっていた幼馴染や先輩、農家のレジェンドたちと話すようになって、この人たちはまさにクリエイターだって思ったんです。圧倒的な情熱を持って、みかんのことを人一倍研究している。

-他の地域のみかん農家と何か違いがあったのでしょうか?

樫原:僕らがいるのは「田村」というエリアなんですけど、他と違って、田村のみかん農家はみんな個人で選果場を持っていて、個人で品質の責任を全て負うんですよ。かつ、組合を作ってみんなで「田村みかん」のブランドを推していくという形をとっていて、どこかひとつの農家さんが不作でも、脱落しないようにするというシステムを作ったんです。

そんな農家さんたちの情熱を知って、伝える人間として「このエリアで僕ができることってもっとありそうやな」と思いました。

-なるほど。そこでようやく決意が。

樫原:そうですね。それに、このお祭りが終わるとみんな泣くんですよ。「地域に貢献できた」とやり切った気持ちでみんなが泣いているのを見て、ちょっとやられちゃって(笑)。僕もここ和歌山でやっていこうと決めました。

承認欲求を超えた先に見えたもの

-和歌山で活動は順調にスタートしたのでしょうか?

樫原:実はこの3~4年、すごいしんどかったんですよ(笑)。和歌山でひとりでやり始めてから承認欲求が爆発してしまった時期があって、紆余曲折があったんですけど、3ヶ月くらい前ですかね、やっと落ち着いたのは。

-え! めちゃくちゃ最近ですね!

樫原:会社員のときに一度諦めたはずが、ひとりでやりはじめてからまた、表現することや何かを作り上げるクリエイティブへの憧れが強くなってしまったんです。

-その憧れの裏側にあったのは、どんな気持ちだったのでしょう?

樫原:自分が前に出て行って「認めてもらいたい」「一発花火ぶち上げたい」という気持ちですね。純粋な気持ちで始めたはずのプロジェクトも、他の人が賞賛されているのを目の当たりにすると「なんでそっちが注目されるんや」「これやったん俺やろ」と思ってしまって。運よくご飯は食べられていたけれど、そういうイライラと自分の何もできなさに、モヤモヤしていましたね。

-それを乗り越えたきっかけは?

樫原:冒頭でお話した、次世代のPRパーソンを育てる「WHITE EYE PROMOTION」を始めたことが大きいです。「自分はこうなっていきたい」「和歌山こういうところが好きで推していきたい」「こんなことやりたいけれど、わたしにできることないですか?」というモデルさんたちの話を聞いていくにつれて、前職時代の感覚に戻ってきたんですよ。

やっぱり僕はクリエイターじゃなくて、人の夢を応援する側だっていうのをより強く感じて、そこで背負っているものが全部落ちた気がしました。

-自分が前に出て認められたい、という承認欲求が剥がれ落ちたというか。

樫原:はい。作り手として目立ちたかった気持ちが少し剥がれ落ちて、仕掛け人として目立ちたいと思って。それすらも全部剥がれ落ちて、裏方で支えたいといういう一番シンプルなマインドにようやく切り替えられました。

-そこでまた、新たに見えてくるものがありそうですね。

樫原:そうですね、今すごく楽しいです。「和歌山を盛り上げたい」「和歌山の顔になりたい」という子たちがスポットライトを浴びるのがこのプロジェクトの成功の形なので、今は彼女たちの夢をサポートしたいと思っています。

 

今の役割は身近な人の夢を応援すること

-樫原さんはプロフで、「眩い表舞台に立つ夢を諦め、裏方で生きていくことを決めた」と書いていますね。

樫原:はい。これも高橋がなりさんの言葉ですが、「自分を削ってでも、人を喜ばせることをやり続けろ」と。それが今、自分の中ですごく刺さっていて。結局人を喜ばせることって、世の中の役にも立てますし、自然とお金に繋がるんですよね。

-樫原さんにとっての「人」というのは誰を指すのでしょうか。

樫原:身の回りの困ってる人ですね。世の中全体に大きく打ち出すよりも、今自分の身の回りにいる人たちを喜ばせることから始めないと、繋がっていかないなと実感しているんです。

最近だと、近所で昔ながらのガソリンスタンドを営んでいる方が、セルフのスタンドと戦うために、ガソリンを入れる以外の目的で人を呼びたいって言い出して。「おもしろ!」と思って協力しています(笑)。そういう小さいけれど確実に喜んでもらえることから、波紋みたいに広げていくイメージですね。

-SOD時代、全国規模なイベントをやるなど外に外にと活動を広げていた樫原さんが言うと、説得力がありますね。

樫原:たしかに当時と逆ですね(笑)。あとは、曖昧な部分を大事にしたいんです。言葉にできない部分や形のないものにこそ未来があると思っているので、今は肩書すらいらない。あると、居心地がいいところにあぐらをかいちゃいそうなので。

 

ひたすら人に喜んでもらえることをし続ける

-最後に、樫原さんのこれからの展望をお聞かせいただけますか?

樫原:和歌山のPRこそ、和歌山の人たちがやるという土壌を作りたいっていうのもあるんですけど、まずは幸せでいたいですよね。

-シンプルですね! ちなみに今の幸せ度を100%中でいうと……

樫原:100%じゃないですかね。

-100%って言い切れるって素晴らしいですね。

樫原:人と比べることもやめて、「自分でいいや」と欲を捨て去ることができたので、今は生きているだけで幸せ。あとは和歌山で周りの人たちに喜んでもらえることが、一番自分の満足感に繋がっていますね。

ちなみに、パートナーとお付き合いしていても結構尽くすタイプの人間です。それが性に合っているんでしょうね。だから、ひたすら喜んでもらえるようにコツコツ頑張っていけたら、それでいいと思っています。

(執筆:むらやまあき)

ABOUT

Proff Magazineは、
スマート履歴書「Proff(プロフ)」が運営する、
誰かの人生を通じて、
あなたの生き方を再発見する、ウェブマガジン。

Proff(プロフ)は
履歴書やポートフォリオサイトを
簡単につくれるサービスです。