元ギャル和菓子屋女将、議員になる。“燃えカス”まで落ちて気づいた、まちへの愛【連載「変わった履歴書の人に、会いに行く。】
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元ギャル和菓子屋女将、議員になる。“燃えカス”まで落ちて気づいた、まちへの愛 【連載「変わった履歴書の人に、会いに行く。」】
和菓子屋六代目女将/桶川市議会議員榊萌美

連載「変わった履歴書の人に、会いに行く。」は、ユニークな経歴を持つ人のもとを訪ね、その生き方を深掘りすることで、「ふつうの履歴書」という固定概念を問い直します。すべてのひとが、自分をさらに好きになれる履歴書をつくれることを目指して。

 

元教員志望のギャルで、元アパレル店員で、137年続く和菓子屋の女将。

そんなユニークなキャリアを歩んできた彼女に、あらたな経歴が加わった。

2023年11月19日におこなわれた桶川市議会議員選挙で、榊萌美さんは2,937 票を集め、初当選。政治家としてのキャリアをスタートさせたのだ。

一見、脈絡がないように見える彼女のあゆみ。でも、実は根底に、小さい頃から変わらない思いがあった。

 

和菓子屋女将、市議会議員になる

その駅前商店街では、店のいくつかはシャッターが降ろされ、いくつかは駐輪場になっていた。

今は歩いている人もまばらなこの道も、かつてはたくさんの人で賑わっていたのかもしれないな…と、センチメンタルな感情に浸っていると、ちりんちりん、と風鈴の音が聞こえてきた。

音の先にあったのは、「五穀祭菓 をかの」。埼玉県桶川市で137年続く老舗和菓子店だ。

店に足を踏み入れると、色とりどりの和菓子に目を奪われる。さっそく人気商品「葛きゃんでぃ」を買って、しゃくしゃくとした不思議な食感に感動していると、あるビラが目に入った。

「桶川に生まれ育って28年 和菓子屋をかの女将 さかきもえみ」

上に小さく「討議資料」、と書かれたそれは、見るからに政治活動の資料だ。

「え、榊さん政治家になるの!?」と、僕はちょっと混乱してしまった。だって、今日は榊さんに、なぜギャルから、137年続く和菓子屋の女将になったのか、という話を聞きにきたのだ。

どういうことだろう、と戸惑っていると、約束の時間ぴったりに、「おまたせしました〜!」と榊さんがやってきた。

正直に言えば、僕は「取材慣れしている、さばさばとした方なんじゃないかな」と身構えていた。なにしろ、榊さんはテレビや雑誌など、数々のメディアで取り上げられている、ちょっとした有名人だ。

しかし、目の前に現れたその人は、初対面の僕にもくったくのない笑顔で接してくれる、朗らかな方だった。

さっそく軒先に座って、話を聞くことに。
政治家になるとは、いったいぜんたい、なにがあったのだろう?

「去年の7月に、経営の立て直しっていう大きな目標を達成したんです。でも、それから燃えカスみたいになってしまって…」

それから榊さんが語ってくれたのは、メディアで取り上げられるキラキラとした彼女の姿からはうかがい知ることのできなかった苦悩と、それでも一貫して持ち続けてきた、まちへの思いだった。

 

地域の人々の愛情をうけて育った

1995年、榊さんは埼玉県桶川市で明治20年から続く老舗和菓子店の次女として生まれた。小さい頃は、店の周りに甘味処も花屋さんもパン屋さんもあり、活気があったという。

「三輪車をジャー!ジャー!って走らせて、パン屋さんに行って、『今日ね〜!こういうことがあってね〜!』みたいに話したり、八百屋さんにおつかい行って飴をもらったり。なんか、みんな自分のおじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さんみたいな感じでした」

地域の人々の愛情をいっぱいに受けて、榊さんはこのまちが好きになっていった。

一方で学校では、友だちはたくさんできたものの、勉強でも運動でも、他人と競わなければいけない環境に苦しさを抱えていたらしい。

「誰かに勝って上に行かなきゃいけない、みたいなことが、ほんとにしんどくって。勝った時に感じる人からの敵意も、負けた時に感じる人からの失望感も、すっごい嫌だったんです」

ある日の図工の授業でのこと。榊さんが親からたくさん持たされた材料を見て、友だちが「いいなぁ!」と、うらやましそうに言った。それを聞いた榊さんは、「いいよ、あげるよ!」と、材料を気前よく手渡してしまった。

榊さんの手元には限られた材料しか残らず、先生から材料をもらうことに。結局、その友達が作った作品は賞をとり、榊さんは親から「あんなに用意したのに!」と、こっぴどく怒られたのだった。

「まぁ、当然怒られますよね(笑)。でも、自分が使ってもどうせそんなに上手に作れないから、友だちにあげて、役に立てる方がいいなって思ってたんです」

自分がしたことで、他人に喜んでもらえるのって、なんて嬉しいんだろうーー。その頃から、榊さんの胸の内に「将来は人の役に立つ仕事がしたい」という思いが芽生えていた。

 

私、このまちの人たちが大好きだったじゃん

高校生になった榊さんは、ギャルになっていた。

2000年代前半ごろに隆盛を極めたギャル文化は落ち着き始めていたが、それでも榊さんは「劣等生の自分は、おとなしい格好をしていたらいじめられるかもしれない」「もっと自分に自信をつけたい」という思いから、ギャルの格好をして派手に振る舞うように。高校生のときには、毎日遊び呆けるようになっていた。

もちろん、「実家を継ぐ」という気持ちはまったくナシ。将来は、高校の国語先生になろうと思っていた。

しかし、その後進学した教育学部で、その目標はうちくだかれる。ギャルは自分しかおらず、周囲から浮いてしまったうえに、要領が悪く授業にはついていけない。教員実習では教員同士の人間関係のわるさにも触れ、「私は先生には向いてないな」と、あえなく断念。

目標を失って大学にも行かなくなり、アルバイト三昧の日々を送っていた大学2年の榊さんに、大きな事件が起こる。実家の和菓子店を切り盛りしていた母親が倒れたのだ。

幸い命に別状はなかったものの、しばらく入院をすることに。両親が「店を潰すことも考えなければ…」と話し合っているのを耳にし、榊さんは動揺した。しかし、それでも「自分が継ぐ」という選択肢は考えておらず、「誰かがなんとかするだろう」と考えていた。

「ほんとに、運命ってありますよね」と、現在の榊さんが振り返る出来事があったのは、母が倒れてから約1週間後のこと。地元のコンビニに向かって歩いていると、たまたま小学校の同級生のお母さんに会った。そして、「卒業式で、『将来はお店を継ぐ!』って言ってたけど、継がないの?」と言われたのだ。

「え?そんなこと言ってたっけ?」。自分でも全く覚えていなかった榊さんは、家に帰り卒業式のビデオを見かえした。すると、映っていたのは「私がお店を継ぎます!」と、胸を張って語る自分の姿。榊さんの身体に、衝撃が走った。

「今の不甲斐ない自分よりも、小学生のころの自分のほうがかっこいいな…」。そして、同時に頭に浮かんだのは、大好きなまちの人たちの顔だった。

「あ、そうだ、私、このまちの人たちが大好きだったじゃん!と思って。小学校の卒業式で『継ぎます』って言ったのって、小さい頃からこのまちのみんなが私を育ててくれて、まちも人もみんな大好きだったから、私も大人になってみんなの一員になりたいって思ったのが理由で。『もしお店がなくなったら、通ってくれてるお客さんたちは悲しむのかな』『従業員のひとはどうするんだろう』という考えが浮かんできて、私が継いだら少しはみんなの役に立てるかな、って思ったんです。」

自分の根っこにある思いに気づいてからの榊さんの行動は、はやかった。その日のうちに両親に、お店を継ぐ意志を伝えた。両親は止めたが、榊さんの決意はかたく、その次の日には大学に退学の意思を伝えた。

和菓子屋女将としての過酷な日々

大学を中退した榊さんだったが、社会人経験もないまま働いても役に立てないだろうと考え、バイト先だったアパレル会社で働かせてもらうことに。1年ほど接客業を経験した後、20歳の時に実家の和菓子店「五穀祭菓 をかの」に入社した。

その後の榊さんの活躍は、テレビや雑誌などでも取り上げられたから、ご存知の方もいるかもしれない。

1年目に開発した「葛きゃんでぃ」は、その後テレビのゴールデンタイムで紹介されるなど大ヒット。だが、注文が殺到したことにより店のECサイトのサーバーがダウン。生産も追いつかず、職人が辞めてしまい、知人からの心ない言葉やSNSでのアンチコメント、従業員や家族の苦しむ様子を見て、毎日申し訳なさに涙を流しながら仕事をした。

しかし、同業者や取引先からの「ありがとう」という言葉を聞き、榊さんは「喜んでくれている人もいる。次につなげよう」と前を向いた。SNSでの発信にも力を入れると、数万人のフォロワーがつき、投稿を見て注文してくれる人も増えた。ECショップの立ち上げ、新商品開発、経営改革が功を奏し、売り上げはV字回復。

…と、これがメディアで語られてきた榊さんの成功譚。けれど、現実はもっとシビアなものだったらしい。キラキラとした成功者として描かれることが「実際の自分とのギャップがあって、しんどかったんですよ〜」と、榊さんは笑顔のまま、目線をすこし下に落とす。

「たしかに売り上げはV字回復してたんですけど、もともと借り入れ額も大きかったので、ほんの2年前まで、ずっと資金繰りは厳しくて。『あと30分で銀行にお金振り込まないと、口座が止められちゃう!』みたいな状態を繰り返してたんですよ。従業員も少なくて、お金も足りなくて、仕事量は多くて…どっから手つけたらいいんだろう、みたいな状態でした」

なんとか黒字化は達成したものの、2021年の年末には資金ショートをおこし、黒字倒産寸前に。税理士から、「大きい売り上げを立てないと、来年で潰れてしまうかもしれない」と、深刻な表情で告げられた。

「打てる手はすべて打とう」。そう決めた榊さんは、ただでさえ短かった睡眠時間をさらに削り、1〜3時間しか寝ない毎日を過ごした。毎日店頭に立ち、製造や搬入、ネット販売の発送まですべて関わり、メディアの取材対応もし、新ブランドも立ち上げ…。

なんとか自己資金で経営が回る目処がたったのは、2022年の7月のこと。決算のシュミレーションを見た税理士は「こんな急激な回復見た事ない。よく頑張りましたね、もう大丈夫ですよ」と、榊さんに伝えた。「よかった…」。榊さんの目からは、涙がこぼれた。

 

生きる意味を見失った

映画であれば、ここで「めでたしめでたし」とエンドロールが流れそうなところだ。だけど、実際の人生はそんな単純なストーリーにまとめられない。「実は、ここ1年の方がしんどかったんですよね…。ずっと、『やばいやばい!』っていってたときの方が、幸せって思えてました」。

榊さんは目標を達成したと同時に、失ったものもあったのだ。

ひとつは、当時7年付き合っていた恋人と会う時間がなくなり、婚約を破棄することになってしまったこと。

もうひとつは、生きる意味だった。

「自己資金で回せるようになるっていう目標を達成してからの、目標を達成した瞬間から、 なんか、燃えカスみたいになってしまって…。前よりは余裕があって、ちゃんと寝れるのに、感情に起伏がなくなっちゃって、『幸せってなんだろう?』みたいな」

生きる意味を見失った代わりに残ったのは、キラキラとした成功者としての「榊萌美」像。現実の自分とは異なる、周囲からのイメージが、榊さんを苦しめた。

「メディアにたくさん出たことで、私自身は何も変わってないのに、周りの人の反応が変わっていくのがプレッシャーになってしまったんです。周りの人がより幸せに生きればいいって思ってやってきただけだったから、もっと上を目指していかなきゃいけないのかな、と思ったら、なんか、すごいしんどくなっちゃって…」

ちょっと重たいですけど…と前置きしつつ、榊さんはこう打ち明ける。

「いつ人生が終わっても別に悔いはないな。もうこれ以上求めるものなんてないって。ずっと、ほんとに最近まで、思ってました」

 

このまちの人たちのために、人生を使いたいんです

人はどん底まで落ちた先で、光を見つけることがある。榊さんもそうだった。「いつ人生を終えてもいい」と思うまで落ち込んだ彼女は、仄暗い海の底のような状態のなかで、自らの生きる意味を見つけた。

「『いつ人生を終えてもいい』って精神状態だったから、逆に、このまま終わるよりも全部出し切って終わりたいなって思うようになったんです。自分の好きな人たちが、自分がいたことで、ちょっとでも幸福になれたらいいなって。わたし、死ぬ時には『この人がいてくれてよかった〜!』って、思われていたいんですよ」

彼女が顔を上げて、そう口にしたとき、言葉にぐっと力がみなぎった気がした。

榊さんにとっての「自分の好きな人たち」。それは、明確だ。桶川の人たちである。

このまちの人たちに、幸せでいてほしい。そのために、自分の命を使いたいーー。生きる意味を見失っていた榊さんのなかで、ひとつの覚悟が芽生え始めていた。

「私はずっとこのまちに住んでて、変わっていくまちの状況を見ていて。まちにお金がないから仕方がないとか、何しても変わらないとか愚痴を言うだけだったら、いつか後悔するだろうなって。行動しないで、人に文句を言う生き方だけはしたくないなっていう気持ちもあって」

ギャルで、元アパレル店員で、137年続く和菓子屋の女将で、市議会議員。一見振れ幅の大きいように見える榊さんの経歴だが、実はその根本にある思いは、三輪車で商店街を走り回っていた子どもの頃から変わっていないのかもしれない。彼女は、このまちが、このまちの人たちが好きなのだ。

 

自分の好きな自分でいること

榊さんは、「もう、ずっと胃がキリキリしてますよ〜!」と笑う。「まちのために、なんてエゴなんじゃないか」、「私なんかに出来るのかな」、「もしダメだったらどうしよう」と、日々悩んでいるらしい。

でも、振り返れば、榊さんはずっと胃がキリキリするような選択をしてきたんじゃないか。どうして、あえて苦しい方の道を選ぶんだろう?僕だったら、楽な方を選ぶけれど。

「私は、『自分の好きな自分でいる』っていうことを大事にしてるんです。発言したり行動したりするときに、自分のことを好きでいられる方向に進んでます。他人の思うかっこいい生き方を真似しても『あれ?自分って何のためにやってるんだろう』って、迷子になるんですよ。だから、自分の信念を見失わないのが大事」

他人が求める楽な道と、自分のことを好きでいられる険しい道があるなら、きっと榊さんは後者を選んできた。和菓子屋を継ぐことを決意したときも、議員になると決めたときも。

「目的さえ見失わなければ、自分の軸がブレないで生きれますよね。ブレてる私が言うのもあれですが(笑)」

と、榊さんは自嘲気味に笑う。だけど、僕には榊さんの経歴が、決してブレているとは思えなかった。

世間に注目され、たくさんの人から期待され、多くの「こうしたほうがいい」というアドバイスを受け、聞き入れながらも、最後は自分の意志をつらぬいてきた。それが榊さんの生き方だ。

自分の道を自分で決めること。自分が好きな自分でいること。そうして積み重ねられた経歴は、どんなに紆余曲折があっても、空白があっても、振り返ればひとすじの軌道を描いている。そのひとにしかない、かけがえのない軌道を。

榊さんが三輪車で走った、この商店街の道は、どんな未来に続いているのだろうか。

 

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