自分が入り続けたいから、銭湯文化を守る。 / 銭湯活動家 湊三次郎
#024

自分が入り続けたいから、
銭湯文化を守る。
銭湯活動家 湊三次郎

「好きなことは仕事にしないほうがいい」

という言葉をたまに聞きます。たとえば漫画が大好きな人が漫画家を目指すと、その仕事の大変さから、漫画じたい好きでなくなってしまう…といった具体に。

好きなことを仕事にして挫折してしまう人がいる一方、その大変さを乗り越えて、好きなこととのあたらしい関係をつくる人もいます。

今回インタビューした湊三次郎さんもその一人。「銭湯活動家」として活動する湊さんは、アパレルメーカーに就職後、脱サラして廃業寸前の銭湯「サウナの梅湯」を再建。現在は「サウナの梅湯」のほかに京都に1軒、滋賀に2軒、計4軒の銭湯を経営しています。

もともと大の銭湯好きだったという湊さんですが、いざ銭湯の経営に取り組んでみると、そこには思いもよらない苦労が待っていたそうで……。

湊さんの、「自分が入り続けたいから、銭湯文化を守る」生き方とは?

「銭湯活動家」とは?

-湊さんは、「銭湯を日本から消さない」をモットーとする銭湯継業の専門集団「ゆとなみ社」を立ち上げ、「銭湯活動家」として活動していますよね。具体的にはどんな活動をしているんでしょう?

湊:主に銭湯の経営をしてます。直営してるのが京都2軒、滋賀1軒、大阪1軒、愛知1 軒の計5軒。あと、東京の十条にある「十條湯」では、経営のサポートもやってます。

-銭湯経営のスタートは、2015年5月に「サウナの梅湯」を引き継いだことだったと聞いています。引き継がれる以前は赤字だったそうですが、今の客入りはどうですか?

湊:今はコロナの影響で減ってるんですけど、コロナ前は1日平均が上250人くらいでしたから、引き継いだ当初の3,4倍にはなったかな。月次利益では最高110万円出たこともあります。

-それはすごいですね! さらに、「ゆとなみ社」の代表として銭湯の経営に興味がある20人ほどの人たちを束ね、銭湯経営の教育をしているとか。

湊:そうですね。銭湯を将来的に経営したいっていう人に、今経営している銭湯で経験を積んでもらってます。銭湯経営に興味を持つ人が増えても、教育の受け皿がないと、全国の銭湯が残っていかないので。銭湯の経営って、現場で経験を積まないとわからないことがたくさんありますしね。

-銭湯文化を残すための活動をするなかで、世の中が変わってきたという手ごたえはありますか?

湊:僕が活動を始めた頃、SNSで銭湯について発信してる人なんてほとんどいなかったんですけど、最近ではTwitterでも銭湯のアカウントが増えてきてますよね。いろんな銭湯ファンの人たちも発信するようになってる。そういうところは変わってきたなと思いますね。

「サウナの梅湯」の内観。

クラブよりカラオケより、銭湯が遊び場だった

-湊さんにとっての最初の銭湯体験は、いつ、どこでだったんですか?

湊:高校生のとき旅行で行った、横浜の寿町の銭湯です。地元の静岡にそもそも銭湯があまりないんで、それまでは行ったことがなかったんですよ。

で、初めて銭湯に行ったら、ドラマで見るような番台があって、番頭さんやお客さん同士がしゃべってて。その、「人同士の近さ」がかなり新鮮に映りましたね。

みんなが楽しそうにしゃべってる空間に、不思議と居心地の良さを感じたんです。「都会ってこういうところなんだ」って。あとで知ったんですけど、寿町って日雇い労働をしてる人がたくさんいるエリアで、今思えば都会でも相当特殊なところに自分は行ってたみたいですけど。

-そのあと、大学時代に銭湯サークルをつくったとか。

湊:はい。言ってしまえば、銭湯に関する「布教」ですよね(笑)。僕は大学に入ってから、趣味だった自転車のあとに風呂でシメる、ってことを仲間とやってましたけど、まわりには銭湯の魅力を知らない人が多かった。それがもどかしくて、イベントを開催したりしてました。日本に3人しかいない銭湯絵師さんを呼んで、ライブペイントをしてもらったり。

-クラブに行ったりとか、ライブに行ったりとか、カラオケに行ったりとか、いろんな遊びがあるなかで、あえて「銭湯」だったのはなぜなんですか?

湊:クラブとかカラオケとか、僕があんまり好きじゃなかったので、そういう遊びの選択肢しかないことにちょっと違和感があったんです。銭湯のほうが健康的だし、財布にも優しいし。あとはやっぱ、若い時って「人と違った趣味を持っていたい」みたいな気持ちがあって。「俺は銭湯っていう趣味があるんだ!」と言いたいっていう気持ちは、正直ありましたね(笑)。

 

思いがけず飛び込んでしまった、怒涛の日々

-そのあと、大学3年で「サウナの梅湯」でアルバイトをはじめたそうですが、それからそのまま銭湯に就職……とはならなかった?

湊:そうですね。2年くらいバイトをしたけど、就職をするうえで銭湯は選択肢になかったですね。「まずはかちっとした仕事をしようかな」と思ってたので、とりあえず行きたい会社を1社だけ受けて。そこはアパレルの会社だったんですけど、温浴事業もできる可能性があったんで、「とりあえず働いてみるか!」って感じで働きましたね。

でも、やっぱり新卒1年目でやりたい事業ができるわけもなく。「それなら辞めよう」と思って、やることが決まってないなかで会社を辞めて。「これからどうしようかな」と思ってたんですけど、そのタイミングで、梅湯が廃業するって聞いたんですよ。

-運命的なタイミングですね。

湊:会社は辞めたし、ちょうどタイミング的によかったので、そのまま「梅湯やろう!」って感じで始めましたね。ほんとに勢いで。

-思い切った決断だったように思いますけど、当時は結構悩んだんですか?

湊:いや、あんまり悩まなかったです。どっちかというとワクワクしてましたね。今考えたら、「サウナの梅湯」はお客さんも少なくなってきてたし、大変になるのはわかりそうなものですけど、当時は社会人経験も浅くてその大変さが分かってなかったので。だから、やってみてほんとにしんどい思いしたんですけど(笑)

-しんどい思いっていうのは?

湊:最初は、「自分の好きなことをやれてるんだから、生活は犠牲にしてもいい!」みたいに思ってたんですけど、実際やってみたらめちゃくちゃストレスで。

当時はどんな生活だったかというと、朝の7時半とか8時に起きて、燃料となる薪の荷降ろしを1時間以上。それから、10時半からはお風呂をあたためて、15時半にオープンしたら、閉店の23時までずっと番台にいて接客。店を閉めてからは風呂掃除を2時間弱くらいやって、夜の1時くらいに終わって、帰って寝る……って感じですね。それを週6。ただ休みの日も営業日にはできないメンテナンスをやらなきゃいけなかったので、ほとんど休みなしでしたね。

-それは大変ですね……。

湊:あとは、経営者として決定の連続なので、精神的にも疲れてしまってました。約束された収入がないので来月どうなるか分からないっていう、先の見通しが立たないなかでもハードな毎日を送らなきゃいけないのが、結構しんどかったですね。気持ち的にも折れて、「いつやめようか」って思ってましたから。

 

病院の予約がとれていたら、やめていたかもしれない

-やめることも考えていた。

湊:考えてました。思ったより集客が伸びないのに、どんどん設備が壊れて修繕費がかかってくるんですよ。「これはちょっと、先がないな。いつやめようかな」って感じでしたね。

あとは漏水もきつかった。営業しててもどんどんお湯が減っちゃうので。だからといって、利益もほとんど出てないから、修繕にお金もかけられないじゃないですか。

-それからいい方向に変わっていくきっかけはなんだったんですか?

湊:きっかけは漏水が直ったことです。これまでと別の業者に「これがもうラストチャンスだ。ダメなら銭湯やめよう」と思って頼んだら、一発で直ったんですよ。そこから気持ち的にもだいぶ楽になったんですよね。「とりあえず1周年たったから、もう1年やってみようか」っていうことで、営業時間を早めて朝風呂をはじめてみたら、だんだんお客さんが増えていって。「あ、これならやっていけるかも」って感じで、少しずつステップアップしている手応えをつかんできました。

-その業者さんじゃなかったら、全然違う人生を歩んでたかもしれないですね。

湊:そう思います。利益も当初は月3,40万くらいだったのが、どんどん上がってって、最終的に月に100万前後の利益が出るようになって。そのあたりからだいぶ楽になりましたね。銭湯って、軌道に乗ると収益が安定する商売なんです。だから割と先行きが見てきて、「ああ、これならいけるか」みたいに安心できました。それが3年目くらいかな。

でも正直、やめるか続けるかは紙一重だったと思います。一度、あまりにも肉体的にも精神的にもおかしい時期があったので、診療内科に行こうと思って、連絡したんです。そしたら、「予約が1か月後までいっぱいです」って言われて、行くのをやめたことがありましたね。あれでもし病院に行ってたら、うつ病の診断が出てやめてたかもしれないです。

-お医者さんから「もうやめなさい」って言われるかもしれないですもんね。

湊:言われたらやめるしかないですよね。というかむしろ、「やめなさい」って言われたいがために病院行こうと思ってたくらいですから。

-そこまで追い込まれながら、なにが最後までやめることを踏みとどまらせたんですか?

湊:やっぱりプライドみたいなものはありましたから。「ここでやめたらださいだろ」みたいな気持ちが。けど、安定し始めてからは「やめたい」っていう気持ちはなくなりました。「やれるところまでやってみよう」みたいな感じで、やりたいことをひたすらやってきて今に至る、という感じですね。

 

「自分が銭湯に入っていたい」が原動力

-銭湯活動家の取り組みをしていて、喜びを感じる瞬間ってどういう時ですか?

湊:番台に立ってると、どんな人が来てるかって結構わかるんですよね。「あ、あの人またきてるな」とか、「あんなちっちゃかった子が、小学生になったんだな」とか。

それで、あきらかに銭湯に来るのが初めてな若い子が来て、うちを気に入ってくれて、何回目かの時に別の友達を連れてきてるような光景を見たりすると、かなり嬉しいですね。もともと、「銭湯に来たことない人に来てもらう」っていうのが、目指していたことだったので。

-「銭湯に来たことない人に来てもらいたい」という想いが、活動するうえでの原動力になっている?

湊:それもありますし、正直、結局「自分がずっと銭湯に入ってたい」って気持ちは大きいですね。もともと自分自身が客として、銭湯がなくなってくのが嫌でしょうがなかったことが、活動を始めたきっかけなので。

他の銭湯ファンも銭湯文化の衰退を嘆いてますけど、「嘆いてるだけかよ」っていうモヤモヤした想いはずっとあったんですよね。自分だけは嘆くだけじゃない存在でありたいということはずっと思ってます。なので、「自分が銭湯に入っていたい」っていうことが根っこにありますね。

だから、最終的にこの業界から足を洗いたいんですよ。いち客に戻るのが最終目標。みんなが銭湯の経営をやってくれるんだったら、それに越したことないんです。ただ、まだそうなってないし、他にやることがあまりないので、いまは活動してますけどね。

-他にやることがあまりない?

湊:会社員でいても、同じような毎日が続くだけで、それでも確かに良いのかもしれないです。だけど、僕はそういう毎日を過ごしていたら暇に感じてしまうんだろうなと。だったら、銭湯の活動をしてた方が暇にならないしし良いかな、っていうのは結構思ってますね。

 

どの町にも銭湯がある社会が理想

-昨今は銭湯は斜陽産業だと言われます。そういった状況についてはどう思いますか?

湊:しょうがないだろう、って思ってますよ。『浴場新聞』っていう業界誌があるんですけど、昭和の終わり頃にはもう「銭湯の廃業や利用者不足が問題だ!」っていう記事があるんですよ。

つまり、今問題だとされてることは3,40年前からずっと問題だったわけです。なのに改善できてきてないってことは、今の僕らがどうこうもがいても、その大きい流れはどうしようもないんだろうなと。社会も、人々の生活も、銭湯が活況だった時代とは変わってますからね。

でも一方で、「この銭湯だったら、絶対にあと半世紀はやっていける」って思えるような銭湯もちゃんとある。なので、そういうところだけは残していこうっていう気持ちで活動をしてます。

-なるほど。そういったなかで、具体的な目標はなにかありますか?

湊:各都道府県に1軒ずつ、「ゆとなみ社」で関わる銭湯を持ちたいですね。トータルの件数は100軒でも1000軒でも良いんですけど、「どの町にも銭湯がある」社会が1番の理想なので。その理想に向けて、できる限りやってこうと思ってます。

-そのためには、銭湯の魅力に多くの人が気づく必要がありますよね。銭湯にあまり行かない方に「銭湯のどこがそんな良いの?」って聞かれたら、なんて答えますか?

湊:最近だと、銭湯はコミュニケーションの場とかコミュニティだとか言われることとが多いんですけど、大きな特徴は、別に自分がそのコミュニケーションの輪に入らなくても良いことです。

つまり、アウェイのようで、一体感がある。そこが、銭湯の魅力だと思いますね。みんなは常連さんとして話してるけど、自分は1人で静かに入ってても許される。そういう環境って、意外と安心できる場所だったりするんですよね。

まぁ、銭湯のよさって、口で説明してもなかなかわからないから、とりあえず行ってみほしいです。かかるのも500円くらいだし、今はビギナーでも入りやすい銭湯がたくさんありますからね。

しんどい思いをしても、守りたい文化がある人生

湊さんの話を聞いていて、近所のバーのことを思い出しました。

地域で長年愛されてきたそのお店は、数年前にマスターが亡くなってしまい、「お店も閉店かな…」と思っていたら、しばらくして以前のように開いていて。聞けば、常連さんが引き継いでオープンしたのだとか。

「好きなことは仕事にしないほうがいい」

と言われるけれど、ほんとうに心から好きな文化が世の中から失われてしまう、という事態に直面したとき、いてもたってもいられなくなる、そのバーを継いだ方や湊さんの気持ちは、少しわかるような気がします。

もしみなさんにも、ほんとうに好きなお店や文化があって、それがいままさにうしなわれようとしていたら……。それを「自分で守り続ける」という生き方も、選択肢としてあるのかも?

 

(執筆・編集:山中康司)

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