履歴書に書けない、無職の頃。
そこにもたしかに、人生がある。
「無職の頃」は、さまざまな人に「あなたの無職の頃を教えてください」と訊ねる企画です。
今回は、『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』の著者であるしんめいPさんに話を聞きました。
「無職」と「無職的」な状態はちがう
今では本を出したり、イベントで登壇したりもしてますけど、なんかね、自己認識としてはずっと無職なんですよ。
本やイベントで自分の人生を語るときは、わかりやすいストーリーにしてます。「会社員から地域おこし協力隊になって、芸人になろうとしたけどうまくいかなかったから、無職になりました」みたいな。
それはたしかに事実なんですけど、あいまいな時期のことは書いてないんですよね。たとえば、どこにも所属してないけど、もらった仕事をして食いつないでいたりする時期もある。その時期も、自己認識としては「無職」のような感覚なんです。「無職的」とでもいったらいいのかな。
マジでなにも仕事してないっていう意味での「無職」なときと、僕が「無職的だな」って感じるときって、微妙にちがう。仕事をやっていても「無職的だな」って思うときもある。
実は鹿児島で地域おこし協力隊をしていたときも、「無職的だな」って思ってました。地域の人からも「なんの仕事してるかよくわかんない、プー太郎」みたいな扱いをうけることもあった。その扱いに対して、自分でも「まあそうっすよね」って思ってました。
「無職=よくないこと」という価値観
東大を卒業して、新卒で東京の大手IT企業に就職した頃、最初は働く気満々だったんです。「勢いがあるIT企業で何年か働いて、起業して、成功してやるぜ!」って思ってた。僕、面接がめちゃくちゃ得意だったんで、会社からも期待されて採用されて、海外向けゲームプロデューサーに抜擢されました。
でも、ぜんぜん仕事ができなかった(笑)。締切恐怖症でタスクが遅れるし、連絡恐怖症でメールを一本返すのに一週間くらいかかるし。なぜ仕事ができないかというと、僕はチームプレイがまるでできなかったんですね。
シンガポールに送り込まれてた時期があったんですけど、チームメンバーにめちゃくちゃ仕事ができる社員がいて、その人が仕事をぜんぶやってくれたから、「ラッキー」と思って、僕はあんまり仕事せずに散歩をしてました。だんだんと仕事をしていても自分がいることで逆に迷惑をかける場面が増えてきて、「会社に自分がいないほうがいい気がする」と思って、会社から消えるように辞めたんです。
会社を辞めて、どうしようかなと考えたときに、「遠くに行きたい」という気持ちがあったんです。「遠く」っていうのは、「資本主義的な世界からの遠さ」と、「東京からの物理的な遠さ」と、どちらの意味合いもあります。それで、鹿児島で地域おこし協力隊として教育事業に関わるようになりました。
鹿児島では、IT企業にいた経験をいかして、島で「IT×教育」みたいな事業をやるというミッションに取り組みました。でも、その頃ぐらいから、感覚としては「自分は無職的だ」と思ってたんですよね。
僕の親は公務員なんですけど、仕事っていえば「会社勤め」か「公務員」か、ちょっと変なやつは「起業する」かだと思ってる。彼らの目線からすれば、鹿児島で地域おこし協力隊をやってるのは、定職についてないのと同じなんですよ。
そんな親の価値観が投影されてたのか、当時は僕も「仕事をしてる」と思えてなかった。今思えば視野が狭かったなと思いますけどね。自分が田舎出身だったことへのコンプレックスもあって、「東京のIT企業の第一線で働いてました!」みたいな自負があったと思うんです。だから、正社員じゃなくなって、田舎で働き始めた瞬間に、「自分は仕事をしてなくて、それはよくない状態なんだ」ってラベリングしてました。
地方で暮らして、価値観が壊れた
でも、鹿児島で生活するなかで、そんなしょぼい価値観はちゃんと壊れましたね。
僕が鹿児島で住んでいたまちって、自営業者が多くて。漁師や農家もそうだし、加工業者も、みんな社長なんですよ。東京のエリート会社員より稼いでる人も結構いる。で、家賃もそんなに高くないし、野菜とか米は贈与経済でまわってるし、助け合いの文化もあるし。「実はこの人たち、めっちゃ強者だな」って思った。
それに、本気で「まちを良くしていこう」っていう思いで働いてる人たちもたくさんいる。「この人たちには勝てないなぁ」って思いました。前は「仕事ができる/できない」って、エクセルが使えて、プログラミングができて……みたいなことだと思ってたけど、それよりも大事な力ってあるんだなと。「この取り組みを推進していこう」っていう気合いとか、自分が取り組んでいることへの誇りとかね。
そういう力を持って活動している人とくらべたときに、「東京のIT企業の第一線で働いてました!」って思ってた自分の方が、ぜんぜん仕事ができない。「『東京のIT企業で働いてた』みたいな自分の自負って、なんだったんだろう……」って、ちゃんと価値観を壊してもらえた。
それに、それまで当たり前だと思っていた、「都会の大企業で正社員で働く」人が、どれだけマイノリティかっていうこともよくわかった。地方に行くと、そういう人ってむしろ変な人だったりするんですよね。「なんでそんなわざわざそんなに勉強したん?」みたいに言われたりするし(笑)。
無職的な状態のときは、「心の葛藤状態を眺めてる」感覚
鹿児島では、家で寝てる時間が長かったです。それこそ、一応仕事はしてるけど、無職的な状態。
移住したての頃は、他者からの目線、あるいは親からの目線を自分に投影して、「自分は無職で、寝てるだけの無益な存在だ」っていう自己認識だった。
でも、僕がいう「無職的な状態」のときって、頭の中ではめちゃくちゃ思考が動いてる。ずっと、「葛藤を眺めてる」みたいな感覚なんですよ。
つまり、自分の内面をただ眺めてるだけなんですけど、たぶん、何かが進んでるんですよね。自分の心の動きがクリアに見えるようになってきて、自己理解が深まる、とか。たとえば、「今感じてるのは怒りだけど、よく見てみるとその奥には喜びがあるな」と気づいたりして。
鹿児島にいたときは、自分の心がガンジス川みたいに濁っていて、よく見えなかった。でも、「無職的な状態」のときに自分の内面の葛藤を眺めまくったら、今は隅田川くらいになってきた(笑)。底は見えないけど、だいぶ透明です。いつか四万十川ぐらいまで透明になったら、だいぶいい感じですよね。
無職的な経験が、精神的土壌を耕した
そんな無職的な状態のときに、精神的な土壌ができたと思います。その土壌があったからこそ、そのあと離婚して実家に戻ってたときに出会った東洋哲学の本が、自分とシンクロしたんです。
しかも、東洋哲学について学んだことを『自分とか、ないから。』っていう本にして出すことができた。まったく生産性と対局だったはずの、無職的な、ただ寝て悩んでるだけの時間が、一気に仕事につながっちゃった。
『自分とか、ないから。』は、ありがたいことに多くの人に買ってもらえています。つまり、価値があると認めてもらえた。その価値の源泉は何かっていうと、かつては無価値だと思ってた、無職的な状態の頃の自分だったんですよね。
これは、僕だけの話じゃなく、けっこう普遍性があると思っていて。個人的に、無職的な状態の経験がある方って信頼できると思ってます(笑)。深い話ができる人が多いし。それは、豊かな精神的土壌がその時期に耕されているからなんじゃないかな。
キャリアの不安に苛まれてみる
今は、キャリアについての不安には、あんまり苛まれないようになりました。
たとえば、お金がなくなる恐怖は、めっちゃあったんです。いや、今でも常にあるんですけどね。でも、前は今よりずっとお金がなかった。地域おこし協力隊になった時も、年収が200万くらいで、家賃5000円くらいの家に住んでましたけど、それでも「いつお金がなくなるんだろう……」みたいな恐れがずっとありました。
そのあと、フリーランス的な働き方をするようになるんですけど、フリーランスって仕事がなくなったら収入がなくなるじゃないですか。ある種、経済的な死の恐怖ととなり合わせ。でも、「恐怖は乗り越えようと思えば思うほど、しんどくなる」って気づいたんですよね。
ちょっときたない話なんですけど、僕、便秘気味なんですね。で、以前は「きばる」ことで出そうとしてたんです。
便秘のときって、気持ちわるさがあるでしょう。あれに、「いやだ、感じたくない!」って、抵抗してた。でもあるときふと、「もう、苛まれてみよう」と思い立ったんです。つまり、気持ちわるさに抵抗するんじゃなくて、自分から全力で感じにいこうと。
それで、「もうどうなっていい!」って気持ちで、うわーって全身で感じてみた。そしたら、なんなんでしょうね、カンカンカンカン! って身体が整っていく感じがして、どわーっと出たんです(笑)。
それで、「なるほど、苛まれることって大事なんだな」って気づいた。僕が抵抗してた「気持ちわるい」っていう感覚も、排泄っていう行動のために重要なものなはずなのに、それを脳で止めようとしてたんだ、って。
実はこの話って、いろんなことに言えるのかもしれないですよね。たとえば昔の黒歴史みたいなことを思い返して、「やだやだ!」みたいな感じでかき消すことってあるじゃないですか。そうじゃなくて、嫌な感じを、可能な範囲で受けとる。苛まれてみる。トラウマのような体験までいくとさすがにしんどいので無理しないほうがいいですけど、自分が可能な範囲でちゃんと受けとりきれると、肩の荷が下りて、楽になることがあると思うんですよ。
だから、キャリアの不安も、苛まれることができる範囲で苛まれるようにしてるんです。おかげで今では、お金がなくなることの恐怖はあるけど、「今は怖さレベル1だな」みたいに、冷静に眺めることができてます。
死ぬまで無職的でいたい
「無職」についての捉え方は、自分のなかで変化してきました。「仕事がある/ない」ということにとらわれてた時期もありましたけど、今はマジで何も考えてないですね。
会社員として働いてるときは、「無職になったら、真っ暗なところに落ちる」みたいなイメージがあった。でも、いざ無職になってみると、「見える景色はなんも変わんないんだな」って、自分でもびっくりしました。無職になっても、けっこうピース(平和)だった(笑)。それは、すごく裕福ではないにしろ、僕には頼れる実家があったからこそ思えたことで、ピースだなんて思えないほど追い詰められている人もいると思うので、伝え方はむずかしいんですけど。
たとえば、いまは喫茶店で話してますけど、仕事があるときに行っていた喫茶店と、無職のときに行く喫茶店とで、見える景色は別に変わらなかった。一番そう感じたのは、芸人を辞めて、離婚して、実家に戻ったとき。その頃は無職的というより、ほぼ仕事をしてないって意味で無職だったんですけど、「東京でめちゃめちゃ働いてたときと、別に世界としては変わんないな」って驚きがあった
「無職」っていうけど、僕らが勝手に「無」って付けて呼んでるだけなんですよね。「無」の対義語は「有」。「有」があるから、その状態と比較して「無」と呼んでるわけです。
「無職」も、「仕事がある状態」と比較して「無職」って呼んでるだけで、本当は無じゃない。たとえば仕事がなくて「しんどいな」と感じてる感覚は、めちゃくちゃ切実ですよね。その切実な悩みに、体当たりで挑んでいる時間だと思うんすよ。つまり、「無」って思われてるもののなかに、豊穣さがある。無職的な状態のときって、まわりからしたら「ただ寝てるだけ」って思われるかもしれない。だけど本人の中では、めちゃくちゃ本質的ななにかが動いてることもある。
だから、「無職的な状態を経てる人の方が面白い」って思うんですよね。その渦中にいると、すごくしんどいときや、「無為に時間を過ごしてる」と自分を責めてしまうようなときもある。だけど、そのしんどさや、苛まれる経験も、すごく大事。あとから振り返ると、「その時期は、思ってる以上に意味があったな」って思う人は、けっこう多いんじゃないかな。
だから、僕は少なくとも、死ぬまで無職的な状態で生きていきたいと思ってますね。
取材を終えて
しんめいPさんは著書『自分とかないから。』で、インド仏教の僧・龍樹の思想を紹介している。その「空」の思想について、くわしくは本を読んでいただくとして、その思想から導き出される考えに、「自分の変わらない本質は存在しない」ということがあると、しんめいPさんは書いている。
自分の本質だととらえていることも、実は他のものごととの関係、つまり縁によって変わっていく。
「悪い人」がいるから、「善い人」になる。「弱いのび太」がいるから、ジャイアンは「強い人」になる。
そして、「有職」の人がいるから「無職」になる。
僕が無職だった頃、「自分は無価値な存在なんだ」と思っていた。けれどもそれは、まわりの職がある人、しかも今思えば、「正社員で働く」人と比較して、そう思っていたのだった。しんめいPさんが鹿児島に行って気づいたように、その関係から一歩出てしまえば、「自分は無価値な存在なんかじゃない」と気づけたんだろう。
「無職」は、変えようのない自分の本質なのではなく、他者との関係のなかで自分がつくりだしたフィクションである。しんめいPさんにならってそうとらえてみると、「無職」がこれまでとちがった見え方で見えてくる気がする。