ボールひとつで、渋谷からポジティブな革命を起こす。 / SHIBUYA CITY FC 小泉翔
#019

ボールひとつで、
渋谷からポジティブな革命を起こす。
SHIBUYA CITY FC 小泉翔

「あなただけの履歴書を、つくってみてくれませんか?」

Proff Magazineでは、履歴書の自由なあり方を考えるために、さまざまな分野で活躍する方にそんなお願いをしてみることにしました。

今回お願いしたのは、株式会社PLAYNEWでフットボールクラブSHIBUYA CITY FC」を運営する小泉翔さん。

20代で旅を広める会社を起業して、30代は「渋谷からJリーグを目指したい」と熱意を燃やす小泉さんの履歴書から見えてくる、“ボールひとつで、渋谷からポジティブな革命を起こす”生き方とは?

渋谷からJリーグ参入、そして世界へ

-現在の仕事について教えてください。

小泉翔(以下、小泉):株式会社PLAYNEWの取締役として、「SHIBUYA CITY FC」を運営しています。「SHIBUYA CITY FC」は2014年に立ち上がった、Jリーグへの参入を目指す渋谷生まれのフットボールクラブなんです。

クラブの存在や活動を通してみんながワクワクし続けられる世の中をつくるために、これまで東京都社会人リーグに所属する「SHIBUYA CITY FC」の運営をはじめ、渋谷でのフットサル大会やトークイベントを企画してきました。現在はコロナの影響でクラブの試合は無観客試合になっているので、YouTubeなどでリーグ戦の様子を配信しています。

-渋谷からJリーグですか! なんだかワクワクしますね。

小泉:ワクワクしますよね。僕は3歳からサッカーをはじめて、高校時代は大宮アルディージャのクラブチームに所属しながらプロ選手を目指していたんですよ。授業が終わったらすぐに練習に向かうような毎日を送っていました。

でも、大学生になって怪我をしたり、就活が目前にせまってきたりしたこともあって、「プロになれないのにこのままサッカーばかりしててもダメだな」と思って方向転換したんです。

-もともとはプレイヤーだったのですね。

小泉:はい。ただ、社会人になってからもボールは蹴り続けていて、SNSで知り合った同世代のサッカー好きの人たちと「大きなコートでサッカーしたいよね!」という話で盛り上がって。そこから運営スタッフや選手が集まって「SHIBUYA CITY FC」の前進である「TOKYO CITY F.C.」を立ち上げました。

サッカーには、一般的によく知られているJ1とJ2以外にも、J1やJ2の下層カテゴリーにJ3やJFL、地域リーグ(関東リーグ・関西リーグなど)、都道府県リーグなど様々なリーグがあって。「SHIBUYA CITY FC」は2021年、J7に相当する東京都リーグ1部に所属するので、もし仮に毎年優勝して1年ずつカテゴリーを昇格できたとしても、Jリーグ参入(J3)まで最短4年。長い道のりではあるのですが、ここからJリーグ入りを目指しています。

J1から都道府県リーグまで、ピラミッド式になっている。

-有名なクラブチームが多数あるなかで、なぜいま渋谷発のチームをつくろうと?

小泉:スケールの大きい話になりますけど……世界中の大都市には、その国を代表するような、若者を熱狂させるめちゃくちゃカッコいいサッカークラブがあるんです。パリ・サンジェルマンとか、マンチェスター・ユナイテッドとか、FCバルセロナとか、ニューヨーク・シティFCとか。でも、東京には23区内にJリーグのクラブが現状存在しないんですよね。

Jリーグが開幕してから27年が経ちますが、実は観客の平均年齢って年々上がっていて。初期からのファンが年齢を重ねているのも理由のひとつですが、サッカースタジアムが郊外のアクセスしづらい場所にあること、これまでより多様なエンタメが街にもオンラインにも溢れていることなど、様々な理由があって、若者の足がどんどんサッカーから遠のいている気がするんですよ。

だから、若い人たちを巻き込めるようなクリエイティブなクラブが渋谷のど真ん中にできたら、サッカー業界にとって革命的だし、自分の昔から関わっているクラブでそれが実現できたら最高におもしろいなと思って。今年の7月から経営に参加することを決めました。

 

みんながオープンになれる空気感をつくる

-小泉さんのプロフを見ると、20代は旅を広めるための会社「TABIPPO」の創業メンバーとして活動されていたんですね。

小泉:そうなんです。いまの仕事とは全く違う分野ですが、若者が世界を旅する文化をつくりたくて、2014年に仲間と一緒に株式会社TABIPPOを立ち上げました。

なぜ旅する文化を広めようと思うようになったかというと、就活前に「サッカー以外で何かやりたいことを見つけなきゃ」と模索していたタイミングで、ふと「旅をしたいな」と思い立って。アメリカに留学して、そのまま南米・ヨーロッパ・アフリカ・中東・アジアをめぐる世界一周の旅に出たんです。

-世界を旅して何か変わりましたか?

小泉:海外の人たちはみんなオープンマインドで楽しそうだな、日本にいる人たちもこうなったらいいな、と考えるようになりましたね。単純かもしれないけど、みんなも旅をしたら「もっと楽しく生きよう」と思えるんじゃないかなって。

そこで、旅を通して出会った仲間たちと一緒に「旅への一歩を踏み出すきっかけをつくりたい」という想いで、学生団体「TABIPPO」をつくったんです。大学卒業後は後輩たちに引き継いで、僕はwebの広告代理店で働いていたんですけど、スポンサーがついて規模が大きくなってきたこともあり法人化を決めました。

-豊かに生きられる人を増やすために、会社として文化をつくることにしたのですね。

小泉:はい。もちろん価値観を押しつけたいわけじゃないですけど、自分の人生を前向きに楽しむことって大切だし、世の中がそういう雰囲気になったらいいなって。僕が生きる上で大切にしているのは「Be Happy Be Positive(幸せであれ、ポジティブであれ)」という言葉なんですけど、この考え方も旅によって得られたもので。

-旅先でどんなことがあったのでしょうか?

小泉:よくある話だけど、世界一周の初日にバックパックが空港に着かないアクシデントが起きたんですよ。そこで足止めをくらって、毎日のように安宿と航空会社を往復することになって……いろんな場所をたらい回しにされたり、警察署に行ったり、ストレスが溜まってとにかくイライラしていました。でも、2週間経った頃にふと気持ちが切り替わって「もう荷物はいらないから、もし見つかったら日本に送って!」って言えたんです。

小泉:塞ぎ込んでいた間はずっと下を向いて歩いていたし、車のクラクションの音がうるさくて仕方がなくて。だけど、ポジティブな気持ちになった瞬間に、美味しそうなご飯屋さんが目に入ったり、次の旅の目的地が楽しみになったりしたんですよね。何事も気の持ちようで、目に見える景色を変えられるんだなと実感した出来事でした。

-物事をどう捉えるかって、難しいけど大切なことですよね。

小泉:こんなふうに、心がちょっとでもオープンになると人生が楽しくなると思うんですよね。例えば毎日暗いニュースが流れていても、サッカーとかラグビーのW杯の期間ってお祭りみたいに盛り上がるじゃないですか。独特の一体感が生まれるし、みんなが開放的な気分になって街中が活気づくから、あの感じを日常のなかに増やしていけたらいいなと考えていて。

なので、旅行の仕事もサッカーの仕事も、根底には「みんながオープンになれる空気感をつくりたい」という想いがありますね。

 

ブラジルW杯で感じた、多様な人が混ざり合うサッカーの可能性

-スマート履歴書「プロフ」に自分だけの新しい項目を加えるとしたら、なにを加えますか?

小泉:「人生に影響を与えた出来事たち」ですね。たとえば30代はサッカーの世界に挑戦の場を移そうと決めたのは、海外旅行がきっかけなんです。「TABIPPO」のメンバーと一緒にブラジルのW杯を観に行ったときに、「サッカーボールひとつあれば国境も人種も性別も年齢も超えられるんだな」ってめちゃくちゃ感動したことが、原体験として強いんですよね。

-国内の試合しか観たことがないのですが、海外の試合ならではの一体感があるのでしょうか。

小泉:応援ももちろんですが、日本対コートジボワールの試合前に忘れられない出来事が起きて。キックオフの2時間前から、会場周辺でサポーターが太鼓を鳴らしたりボールを蹴ったりしていたので、僕たちはコートジボワールのサポーターと一緒にフットサルをすることにしたんです。

露天で売っていたココナッツジュースを飲み干して、ココナッツの殻を2個置いてゴールに見立てて……と盛り上がっていたら、いろんなユニフォームを着た各国の人たちが混ざりに来てくれて。「2点取ったら交代ね!」というルールができて、気づいたら300人くらいの観客に囲まれていました(笑)。

-300人ですか!

小泉:最高に楽しかったですね。最後に、日本とコートジボワールのサポーターを中心にして、みんなで集合写真を撮ったんですよ。いろんな国の人たちが「お前ら今日はいい試合しろよ!」って温かい言葉をかけてくれて、それがすごく嬉しくて。幼少期から取り組んできたスポーツの可能性をより強く感じたし、サッカーを軸にいろんな人が交流できるような場所をつくって、感動を生んでいきたいと思うようになりました。

-そういう背景があったのですね。いまは、平日の夜にPLAYNEW主催でフットサルコミュニティの運営をしていると聞きました。

小泉:はい、ほぼ毎日渋谷ストリームのフットサルコートで開催しています。これも「SHIBUYA CITY FC」を応援したい人だけじゃなくて、仕事帰りにボールを蹴りたい人が気軽に集まれるような場所にしたくて。

スポーツや健康にまつわるコンテンツとか、それに付随するコミュニティを通じて、一人ひとりのが自己肯定感がもっと高まったらいいですよね。そして、身体を動かしたくて遊びに来ていた人たちが、みんなで集まって盛り上がるうちに、チームの理念や活動を知ってファンになってくれたら嬉しいかな。

いまのJリーグって、ファンクラブの年間会員を募るとか、既存のサポーターを巻き込む仕組みがメインなので、新規のファンが増えづらいんですよ。でも、新しい仕組みをつくっていかないと組織を存続させられないので。サッカーそのものの未来を切り拓くような収益モデルを生み出していきたとも考えています。

 

絶対に負けられないピリピリ感を背負って戦う

-最後に、今後の展望を教えてください。

小泉:「SHIBUYA CITY FC」では「Football for good」というビジョンを掲げているので、サッカーを通じてソーシャルグッドな活動をしていきたいと思っています。社会貢献って言うとちょっと堅苦しいですけど、スポーツが軸だったら参加しやすいし、そういうところにスポーツの価値があると感じているので。健康な人を世の中に増やして、社会にいい影響を与えるためにも「SHIBUYA CITY FC」の知名度を上げていきたいです。

-ソーシャルグッドな活動って、例えばどのようなことですか?

小泉:ひとつ例を挙げると、徳島ヴォルティスというサッカーチームが「ヴォルティスコンディショニングプログラム」という健康増進プログラムを実施していて。行政と企業とタッグを組んで、市民の人たちが運動習慣を身につけられるようにサポートしているんですよ。

行政にとっては、みんなが健康を維持してくれれば医療費などを削減できるし、企業にとっては自社のサービスや製品を使ってもらえる機会になる。さらに、成果を数値で測れるようにKPI(指標)を設定して、達成度合いに応じてサッカーチームが行政から報酬を受け取れる仕組みになっているんです。

そんなふうに、関係者みんなが幸せになれるし、世の中にもいい影響を与えられるような活動をやっていきたいと思っています。渋谷という街で、みんなが真似できるような文化をつくりたいですね。

小泉:あとは、2021年シーズンにとにかく関東リーグへ昇格できるように、リーグ戦を勝ち抜きたいですね。関東リーグまで上がると「このチームは本当にJリーグまで上がる可能性を秘めているな」と、今よりもメディアやスポンサーになりうる企業さんも注目してくれるはずなので。あとはサッカーに興味関心の高い人だけでなく、もっと幅広く応援してくれる人を増やしていきたいですね。

2021年シーズンは、新型コロナウイルスの状況にもよりますが3月にリーグ戦がスタートし、12月までには関東リーグへ昇格するクラブが決定するようなスケジュールです。クラブの勝利だけでなく、事業の拡大や渋谷区に根付いていくための活動など、やりたいことは盛りだくさんです。

試合は選手や監督、スタッフに一任していますが、絶対に負けられないピリピリ感が気持ちいいので、これからも刺激を求めて、「いま自分に何ができるのか?」と考えながら選手と一緒に戦っていきたいです。

 

(執筆:馬場澄礼/撮影・編集:山中康司)

 

小泉さんからのお知らせ

SHIBUYA CITY FCの2019シーズンに密着したドキュメンタリー映像はこちら! 2020シーズンのドキュメンタリーは2021年2月公開予定なので、そちらもお楽しみに!

 

 

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