ど真ん中の道よりも、脇道を行く人が愛しい。/ PRライター 中西須瑞化
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ど真ん中の道よりも、
脇道を行く人が愛しい。
PRライター中西須瑞化

「もし、履歴書に自由に項目をつくって自分を紹介できるとしたら、どんなことを書きますか?」

Proff Magazineでは、履歴書の自由なあり方を考えるために、そんな質問をさまざまな分野で活躍する方に投げかけてみることにしました。

今回話を聞いたのは、PRライター、小説家、シナリオの執筆、「防災ガール」の元事務局長(2020年3月11日に解散予定)、「ほめるBar」のメンバーなど、さまざまな顔を持つ中西須瑞化さん。

「ど真ん中の道よりも、その脇にある細い道を行く人が愛しい」と語る中西さんは、自らの履歴について、どんなことを語るのでしょうか。

「ど真ん中」を歩けない人のつらさを経験してきた

–中西さんは過去のnoteで、「ど真ん中の道よりも、その脇にあるひょろひょろの細い道を行く人が愛しい」ということを書いていましたね。すごく印象的な言葉なので、ぜひそのことから詳しく聞かせてください。

中西須瑞化さん(以下、中西):「ど真ん中の道」っていう表現がいいのかわからないんですけど、「ど真ん中」を歩けない人のつらさは私自身が何回か経験してるんです。

私の家族は、いわゆる幸せな家族像にはあてはまらなかった。両親がとある宗教を信仰していたことに違和感を持ったり、生まれつき腎臓の障害を抱えているお兄ちゃんと両親との間に軋轢があったり、そのことが原因で母親が依存的だったり、家を出てしまったり。

離婚しているとか、体に痣ができるようなDV があるとか、誰かが犯罪を起こしたとか、わかりやすい“はみ出かた”もしてなかったんですけど、確実にそこには生きづらさがあったんですよね。

「ど真ん中」からきれいにはみ出せないのもつらいんですよ。きれいにはみだせたら「大変なんだね」って言ってもらえるでしょう。けど、私よりも大変な状況の人はたくさんいる。その人たちくらいはみ出すこともできないし、かといって一般的な幸せを得られているわけでもないし……っていう生きづらさがあって。

「ど真ん中の道」も、「きれいにはみ出た道」も歩けてない生きづらさです。そんな状態で、小学校から高3くらいまですごしてきました。

–大学に入って、そんな状況が変わってきたんですか?

中西:大学に入って、初めてちゃんと自分が「ど真ん中の道」との接点を見つけたような気がしたんですよね。大学の生協学生委員会に参加してたんですけど、そこにいた人たちとの出会いがきっかけです。

私、大学は入学したけど、最初は「友達なんて別にいらねーし」と思っていて。誘われて新歓に連れて行かれても「マジで早く帰りたいわ」って言いながら参加してたんです。そしたら、ある先輩がすごく目をかけてくれて。「お前はひねくれてるけど、そこが面白いから、もっと色々しゃべろう」と言ってくれた。

それが、なにか役割をこなしているからとか、いい子だからとかいうふうに、なにか条件付きでほめられるんじゃなくて、ありのままの状態を面白いと言われた初めての体験だったんです。その人から繋がって、他の先輩も私をありのままで受け入れてくれました。

私、それまでは「ど真ん中を生きてるような、幸せに生きてる人たちとは仲良くならない」と決めつけていたんです。でも、そんな自分が恥ずかしいなって思うようになって、心を開いて接することができるようになったんですよ。

–では、そこから「ど真ん中の道」を歩めるようになった?

中西:いや、それがそんなことはなくて。3年生くらいになると、あんなに同じ志を持ってやってきた仲間たちが就活をしだすじゃないですか。私は「そもそもなんで就職するんだろう?」とモヤモヤしてたんですけど、周りの友達はなんのためらいもなく就活をしてて。

私はその流れに乗ることは無理だな、と思ったんです。「この流れに乗れない自分はおかしいのかな。あれ死ぬしかないのかな。」みたいに、本気で悩んじゃったんですよね。

 

脇にあるひょろひょろの細い道も悪くない

–そんな悩みをどう乗り越えてきたんですか?

中西:大学を卒業したら新卒で大企業に入る、みたいに、いわゆる「ど真ん中の道」以外に選択肢はないのかな、と思って、いろんな生き方を知るために1年休学して、いろんな人に会いに行ったんです。

起業家の家入一真さんが取り組んでいた「リバ邸」のプロジェクトを手伝ったり、京都の学生団体に入ったり、二十歳で自分のレストランを経営してる人と出会ったり、いろんな人と出会って話を聞いて、「世の中にはこんな生き方もあるんだ」っていう選択肢を知りました。そのなかで、あとで関わることになる防災ガールの田中美咲さんとも出会ったんです。

–それから、地元のNPOに就職したそうですね。

中西:お兄ちゃんが腎臓がもともと悪く、入院して移植手術をしなきゃいけなかったからお金かかることもあり、モヤモヤはあるけど一旦就職しないといけないと思って。

でも、SPI とかエントリーシートとかは自分に嘘をついて努力することになるし無理だなって思っていたので、そういうのが必要ない求人をハローワークで探しました。 NPO の中途採用の募集を見つけて内容的に面白そうなので応募したら、運よく新卒で働かせてもらうことになりました。

でも、そのNPOは3ヶ月で辞めてしまうんです。人が少なかったこともあり、新卒でありながら複数のプロジェクトをほぼ一人で進めていくことになったんですが、noteにも書いたように私は本当に仕事ができなかった。

暗黙のルールや、「常識的に考えてこうでしょ」と言われるようなことが理解できなかったんです。メール一通を書くのに三時間かかったこともあります。

あと、そのNPOでは「ど真ん中でいることが正解」というような価値観があるように感じました。いわゆる世間の常識とか、当たり前にそうだと言われていることが正しいというよな。

それが悪いわけではないですが、働いてみて、やっぱり私にはそういった価値観が合わないことがわかったので、3ヶ月で辞めさせてもらうことにしました。

–「ど真ん中の道」が合わないことがわかってきた。

中西:だんだんとわかってきましたね。「ど真ん中の道」よりも、脇にある細い道が愛おしいな、と思うようになったのは、そのあとに参画した防災の啓発活動を行う一般社団法人「防災ガール」の活動を通して、社会起業家たち出会った経験が大きいです。

社会起業家の人たちって、本当に楽しそうに活動してるんですよ。しかもちゃんと社会の役に立っている。いわゆる世の中で言われるような「ど真ん中の道」を歩く生き方じゃなくても、こんなに楽しそうで、しかも誰かの役に立つような生き方があるんだなってことに気づけたら、生きづらさが薄れていったんです。

それまでって、働くことに対して嫌なイメージしかなかったけど、「意外と働くって、幸せな行為なのかもしれない」と思えるようになった。「ど真ん中の道」でも、「きれいにはずれた道」でもない、「その脇にあるひょろひょろの細い道」を生きるという選択肢があるんだな、って。

 

生きる選択肢につながる“点”を残したい

–中西さんは「生きる選択肢を示したい」といろんなところで発言していますね。

中西:私はいろんな生きる選択肢に触れる経験させて頂いたので、生きる選択肢をちゃんと伝えていくという責務があるんじゃないのかなって。

「ど真ん中の道」から外れてしまった人達が、もっと生きやすい世の中にしたいなと思うんですよ。

「ど真ん中の道」が悪いということではないけど、「ど真ん中の道」を歩んでいる人たちじゃ見えないものが絶対ある。自分は「ど真ん中の道」じゃない、「その脇にあるひょろひょろの細い道」にいるからこそ言えることを言う人でありたいと思うんです。

–中西さんの活動は、小説やコピーライティング、イベントなど多岐にわっていますが、どれも同じ思いで?

中西:そうですね。生きる選択肢を示すっていうと、職業をすすめることがわかりやすいかもしれないですけど、方法はそれだけじゃないと思うんですよ。

私は「その人にとって“点”を残したい」と思っているんです。

直接会うにしろ作品の言葉に触れるにしろ、私と誰かが接触した瞬間に、相手は絶対に何かしらの影響は受けるじゃないですか。そんな私と誰かが触れ合う”点”において、その人にとっての生きる選択肢が残せるかどうか。

たとえば、その人が生きるのがつらくなって「もう死のう」って首を吊るその直前に、私が何気なく発した「目の色が綺麗だね」という言葉や、「つくってくれた料理、美味しいね」という言葉を思い出して、踏みとどまるかもしれないわけですよね。

私の肉体が朽ちたとしても、誰かに残った“点”は残る。

きっとその人が今抱えている悩みをすぐ解決するようなものではないかもしれないけれど、もっと根幹にある、なにか満たされないものにじわじわ効いてくる漢方のようなもの。そんな”点”を残していきたいです。

–中西さんにとっても”点”があるんですか?

中西:梶井基次郎の「檸檬」っていう小説の言葉ですね。

「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(お)さえつけていた。」っていう書き出しで始まるんですけど、高校生の時に国語の授業で読んで「わたしの中の混沌を、わかってくれる人がいた」と思って、救われたんです。

「檸檬」は90年以上も前の作品で、梶井基次郎も31歳で亡くなっているけど、つくり手が亡くなっても、年月が経っても、その人の残した”点”が誰かを救うことがあるんですよね。

 

「履歴書が汚れてる」はあなたたちの価値観でしょ?

–中西さんは「履歴書」について、どう思いますか?

中西:NPOを辞めときに、ある人から「これ以上履歴書を汚してどうするの?」って言われたんです。

すでに大学を休学していたこともあって、その人から見たら「汚れた履歴書」だったのかもしれないけど、私からすれば「私は汚れてないし、それはあなたたちの価値観でしょ?」っていう感じで。

–最初からそう思えていましたか?

中西:いや、最初はつらかったですね。私は親が「ど真ん中の道が正義」というような価値観を持っていることもあって、理解してもらえずにめちゃくちゃ苦しかった。休学中もしんどかったし、NPOを辞めた後も苦しかったし、毎日大変でしたよ。

でも、休学中や防災ガールの活動を通していろんな生き方の選択肢にふれるなかで「それはあなたたちの価値観でしょ?」って思えるようになっていきました。

私以外にも「履歴書を汚してどうするの?」みたいなことを言われる人っていっぱいいるんと思うんですけど、今では「そういう言葉は無視した方が良いよ」って思ってますね。

 

個人として、どう活動していくのかを考えている

–最後に、中西さんの今後の展望を教えてください。

中西:明確に「これをやっていきたい!」っていうのはないですけど、ずっと関わってきた防災ガールが2020年の春で解散になるので、私にとって大きな転機かもしれないですね。

これまでは、「防災ガールの中西 須瑞化」として知ってもらえていた部分は少なならずあると思うんですが、その看板がなくなって、いよいよ個人としてどうしていくのかを今は考えているかな。

さっき話した、「相手にとっての“点”を残す」は大切にしていきたいと思ってます。

そこををどういう方法で取り組んでいくのかは、いくつも方法があるなと思っていて。音楽かもしれないし、イベントかもしれないし、インスタレーションかもしれないし。これから自分なりの方法を模索していきたいですね。

(執筆・撮影:山中康司

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