心の声に一緒に気づいた瞬間が、きっとその人の人生を支えてくれる。 コミュマネ&アナウンサー・和田早矢の「聞くことを通して、人生に寄り添う」生き方
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心の声に一緒に気づいた瞬間が、きっとその人の人生を支えてくれる。 コミュマネ&アナウンサー・和田早矢の「聞くことを通して、人生に寄り添う」生き方
コミュニティマネージャー&アナウンサー和田早矢

ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。
そしてこのてんでモモは、それこそほかにはれいのないすばらしい才能をもっていたのです。
(ミヒャエル・エンデ『モモ』岩波少年文庫,23頁)

100回のはげましの言葉より、ただ1度、自分の話に耳をかたむけてくれることが、生きることを支えてくれる。

そんな、ほんとうの意味での「聞くこと」ができる人は、ミヒャエル・エンデが『モモ』で書いているように、あまり多くはありません。和田早矢さん(通称:わださや)は、数すくないそんな存在なのだと、取材を終えた今感じています。

わださやさんは、地元である高知県で地方局のアナウンサーとして働いたのち、2018年に株式会社ツクルバに転職。スタートアップを応援するコワーキングスペースのコミュニティマネージャーとして、100組以上のスタートアップ・起業家のコミュニティを築いてきました。

また、前職の経験をいかしてフリーアナウンサーとしても活動中。現在は、「コミュニティマネージャー×アナウンサー」という、パラレルキャリアを歩んでいます。

アナウンサーといえば、「伝えることのプロ」というイメージがあります。しかしわださやさんへのインタビューは、意外にも「聞くこと」の話になっていったのでした。

わださやさんの、「聞くことを通して、人生に寄り添う」生き方とは。

コミュニティマネージャーとアナウンサーのパラレルキャリア

-コミュニティマネージャーとアナウンサーって、けっこう別の仕事っていうイメージがあったんです。そのふたつの仕事をしてるのがおもしろいなぁと。具体的に、今はどんなことをしているんですか?

わださや:実は2021年の11月に子どもが生まれて、今産休中で。今月末(筆者註:インタビューをしたのは2022年4月)に復帰するんです。

仕事は、まさにおっしゃってくださったように、コミュニティマネージャーとアナウンサー。コミュニティマネージャーのほうは、株式会社ツクルバが運営して全国に広がっている「co-ba」っていうコワーキングスペースで、コミュニティマネージャーをしています。

-コミュニティマネージャーは最近増えてきてますけど、その役割はコミュニティによっていろいろですよね。わださやさんはどんな業務を?

わださや:やってることはほんとうに幅広くて、施設の立ち上げやイベントの企画運営、オンラインラジオの配信などですね。どの施策も、どうやったら「co-ba」に入居してる人のチャレンジを応援できるかとか、良いコラボレーションを生み出していけるのかっていうことを考えて取り組んでいます。

「co-ba」の拠点のひとつに、「NEXs Tokyo」っていう、東京都主催で全国のスタートアップの起業家を支援している拠点があって。そこの運営を「co-ba」が担っているんですね。わたしはその「NEXs Tokyo」のコミュニティマネージャーとして、全国の起業家のサポートをメインに取り組んでいます。スタートアップと自治体の方、ベンチャーキャピタルの方などのコラボレーションが生まれるように、いろんな施策を企画して、実施しているんです。

-なるほど。そうした活動をしながら、フリーアナウンサーとしても活動をされているんですね。

わださや:そうですね。局アナだった経験をいかして、結婚式などのイベント司会をやったり、あとはラジオのパーソナリティをやったりですね。産休前は月2〜3本くらいやってたかな、と思います。

 

アナウンサーもコミュマネも、「聞くこと」が大事

-コミュニティマネージャーとアナウンサーは、わださやさんの中ではどうやってすみわけてるんですか?

わださや:それが、わたしの感覚だとけっこう共通してるんですよね。コミュニティマネージャーとアナウンサーも、基本的には聞き役なので。

-コミュニティマネージャーもアナウンサーも聞き役?

わださや:わたしのなかではそうですね。「どうすればこの人とはやく打ち解けられるだろう」とか、「どうしたら本音で話してくれるかな」とか、考えてるんです。

アナウンサーとしてインタビューするときもそうだし、コミュニティマネージャーとして「co-ba」の入居者さんと接するときもそうで。専門的な言葉でいうと、「心理的安全性」をつくるために試行錯誤してるんだなぁって、最近は思ってます。

-心理的安全性?

わださや:自分の考えや気持ちを安心して発言できる状態のことで、心理的安全性が高いと、そのチームは生産性が高いといわれてるんです。わたし、そんな心理的安全性が高い状態をつくりたいっていう気持ちが強いんですよね。

-わださやさんにとって、心理的安全性が高い状態をつくるためにも「聞く」ことが大事なんですか。

わださや:とても大事ですね。とくに、起業したばかりの方々のなかには、すごく孤独感を抱えてる人も多いんです。

世の中で認められるべき人たちだし、これから応援してくれる人はたくさん見つかるはず。だけど、起業したばかりだと話を聞いてくれる人もあんまりいない。それで、自信がぐらぐらしてしまうときもあるんだと思います。

そんなとき、「この人になら本音を聞いてもらえて、後押ししてもらえる」っていう存在でありたいって。コミュニティマネージャーをやっていて、強く思うんです。

-「聞くこと」が、その人の人生を後押しすること。

わださや:はい。その人が生き生きと、自信を持って生きられるようにサポートできる存在でありたくて。そのために、「聞くこと」がすごく大事だなって思います。

-なるほど。「聞くこと」の力を感じた瞬間って、これまでにありましたか?

わださや:そうだなぁ…たとえば、起業家の方と仲良くなって、話を聞かせてもらうなかで、「なんで起業したのか」みたいな、根っこにある想いの部分に触れられることがあるんですよ。

そういう想いの話にじっくりと耳を傾けてると、「考えが整理されたから、ピッチ資料に想いを入れ込みたいと思いました!」って、スッキリした表情をしてもらえるときがあって。そういうときは、すごく嬉しいですね。

といっても、起業家さんってこれまでに何度も何度も自分の考えを掘り下げる作業をしてきていらっしゃるので、わたしが聞かなくても…という気持ちもあるんですけど。想いを聞くこと以外で、どんなふうに寄り添えるだろう、っていうことは、わたしの今後の課題ですね。

 

「ごんぎつね」の気持ちを伝えられた、という原体験

-わださやさんのこれまでの歩みについて聞いていきたいんですが、アナウンサーになりたいと思ったのはいつごろだったんですか?

わださや:小学校低学年のときです。わたし、もともと感受性がめちゃくちゃ強い子どもで。人の気持ちとか、相手が何を考えてるのかっていうのを、敏感に感じるほうだったんですね。

ある日国語の授業で、『ごんぎつね』っていう物語を朗読する時間があって。先生から「読んでみて」ってさされたんです。それでわたし、狐のごんは何を感じて、何を考えているかっていうことを感じながら読んだんです。そしたら先生が、「ごんの気持ちがすごく伝わった!」ってほめてくれて。すごく嬉しかったんですよ。

「誰かの気持ちを理解して、それを伝えることができるのって、めちゃくちゃ嬉しいことなんだな」って、そのとき気付いたんです。

-ある意味、ごんの気持ちに耳を傾けて、代弁していたと。それがしっかりと聞き手にも伝わっていたんですね。

わださや:はい。それが嬉しかったから、「そういうことができるお仕事がしたい」って先生に言ったら、「アナウンサーがいいんじゃないの?」って言ってくれて。その一言がきっかけで、アナウンサーを目指すようになりました。

-あぁ、じゃあもしその先生の一言がなかったら…

わださや:もしかしたらアナウンサーになってないかもしれないですね。あの一言は、わたしのなかですごく大きかったと思います。

「地元が好きじゃない」は、興味があることの裏返し

-その出来事があってから、ずっとアナウンサーを目指していたんですか。

わださや:はい。「アナウンサーになるぞ!」と思って、大学受験のときも「アナウンサー輩出大学ランキング」みたいなものを見て、受験する大学を決めました。上京して大学に入ってからも、アナウンサー志望者のためのスクールに通ってましたね。

それで、就活の時期になったんですけど、アナウンサーの募集ってそもそも少ないから、アナウンサー志望の人って全国各地の募集にエントリーする人が多いんですね。わたしも、いろんな局のエントリーシートを書いてみたんですけど、「どうしてこの地域を選んだんですか?」っていうような質問で、いつも書く手が止まってしまって。

-うまく書けなかったんですか。

わださや:そうなんです。「その地域で働く理由がないな」って思っちゃって。本音はそうでも、なにかしら理由をつけて書ける人もたくさんいると思うんですけど、わたしにはそれができなくて。「本音で書けないと、相手には伝わらないぞ」って思っちゃってたんですよ。

そうするうちに、「じゃあ、自分は本当はなにがしたいんだろう」って、けっこう悩むようになってしまったんです。それで、さんざん悩んだ結果、アナウンサーとしては高知の局だけ受けることにしました。

-それは、どういった理由で?

わださや:あるとき、「わたし、地元が好きじゃないな」って気づいたんです。地元の高知に対して、「田舎で、しがらみが強くて…」っていうイメージがあって。だから地元に戻るつもりなんてなかったんです。

-今ではわださやさんは地元への想いがつよいですよね。以前は地元が好きじゃなかったっていうのは意外です。

わださや:「好きじゃない」っていう気持ちは、すごく興味があることの裏返しなんだと思います。

当時も、「好きじゃない」っていいながら、テレビで高知のニュースが取り上げられてると見ちゃうし、他の人が高知についてツイートしてたりすると、なんか嫉妬心が湧くというか。「わたしの方が高知のこと知ってるし、課題感を感じてるのに!」って(笑)。

そういう自分を振り返ったときに、「ほんとうは、高知のことがすごく好きで、高知を元気にしたいんだ。その気持ちはきっとゆるがないものだ」って、確信が持てた瞬間があったんです。

-よく、自分の好きなことを深掘るとやりたいことが見えてくる、といいますけど、むしろ「好きじゃないこと」こそが、わださやさんにとって大切な価値観のありかを示していたんですね。

わださや:そうなんですよね、まさに。それで、4年生の夏に高知のアナウンサーの募集が出たのでエントリーして、その想いを伝えたら、幸い受かって。「高知さんさんテレビ」に入局できることになったんです。

 

「聞くこと」を通して、人生の転機に寄りそいたい

-小さい頃からの夢だったアナウンサーになることができたわけですが、転職したのはなぜだったんですか?

わださや:アナウンサーになってから、情報番組のMCや、報道番組、イベント司会などをやらせてもらって。たくさん食レポをしたりとか、ときにはディレクターや動画編集の作業をすることもあって、ほんとうに楽しい日々だったんです。

わたし、仕事の中でも結婚式の司会がすごく好きで。結婚式って、新郎新婦がどういう人生を歩んできたかを当日伝えるために、事前にヒアリングをするんですね。その過程で、その方にとって大事な想いが見えてくる瞬間があるんです。その方自身が、「この人と結婚した理由が、ストンと腑に落ちました」って気づくような瞬間だったり。それからは、目の色がガラッと変わるんですよ。

-誰かに話を聞いてもらうことで、自分自身でも気づいていなかった想いに気づけるんですね。

わださや:はい。そういう瞬間を何度も目の当たりするなかで、「その人の心の声を聞くことで、人生の転機に関わって、生き生きと生きていけるようにサポートできることがすごく嬉しいな」って、思うようになったんですよね。

-あぁ、「ごんぎつね」のエピソードともつながるような。

わださや:あ、たしかにそうですね!あのときも、ごんの心の声を聞いていたのかも。アナウンサーをしながら、そういう心の声を聞くような瞬間がたくさんあって、「もっと人生の転機に寄り添う仕事をしてみたいな」って思うようになったんです。

-それで、コミュニティマネージャーになろうと。

わださや:はい。コミュニティマネージャーって、まさに人生の転機に寄り添う仕事だと思います。とくに起業って、人生をかけた転機じゃないですか。だから、そういう転機に寄り添うために「co-ba」で働きたいと思ったんです。

 

地元の若者が、生き生きと生きられるように

-都内の企業でコミュニティマネージャーとして働くようになったわけですが、高知への想いは持ち続けているんですよね。

わださや:それは、持ち続けていますね。「高知を元気にする」ことは、わたしが人生かけて取り組むことだと思ってます。ツクルバに入った理由のひとつも、場づくりの方法や、地域の起業家や自治体の課題感を知ることができたら、いつか高知に帰って活かせるはずだと思ったことだったので。

-「人生をかけて」というくらい、強い気持ちなんですね。それはどうしてなんでしょう?

わださや:どうしてだろう…

きっと、かつての自分が、地元を好きになれないことでつらい思いをしていたから、なのかもしれないですね。

高知にいたときは、どこに行っても知り合いがいたり、東京で流行ってるものがなかったりすることが、いやでいやで仕方なくて。だから、中学とか高校時代は反抗期がすごくて、心が荒れてたんですよ。でも今振り返れば、地元のことを好きになれないことが、すごくつらかったんです。

-好きになれないこと自体が。

わださや:人でも場所でも、身近な存在を好きになれないのってつらいじゃないですか。後悔してるわけじゃないんですけど、もしあのとき、地元を好きだって思うことができていたり、その状況を楽しめていたら、どんな人生が待ってたんだろうって思うんです。ほんとうは地元を好きになりたかったんですよね。

自分自身が、地元を好きになれなくてすごくつらい想いをしていたから、今高知に住んでる若い人には地元を好きになってもらえたらいいなって。それがきっと、高知の人たちが生き生きと生きることにつながるって信じてるんです。

 

「やりたい」の想いがコップから溢れるのを待つ

-いつか高知で活動することを考えていると思うんですが、いつ、どんなことをするのかのイメージは湧いてますか?

わださや:それが、まだぜんぜん湧いてなくて。今は「やりたい」より「やらなきゃ」っていう使命感が強いから、まだ行動するのはやいかなって思うんです。

-使命感が強いと、まだはやい?

わださや:ずっと「高知を元気にしなきゃ」っていう気持ちを持ってたんですけど、焦るような気持ちもあったんですよ。それがしんどくて。焦る気持ちにしたがって動き出すこともできると思うんですけど、「やらなきゃ」で動き出すと、後でもっとしんどくなってしまうんだろうなと思うんです。

今わたしの周りにいる方って、「co-ba」で関わる人たちをはじめ、自分の「やりたい」っていう気持ちに素直に生きてる人たちが多いんです。そういう人達をみてると、すごく生き生きしていて。

きっと、「やらなきゃ」で生きる人生より、「やりたい」で生きる人生の方が、幸せに生きられるんだろうなって。わたしも、いずれ高知に対して「やらなきゃ」より、「やりたい」が上回るときがくると思う。それは確信してるんです。

-あぁ、コップから水が溢れるみたいに。

わださや:はい。いつか「やりたい」っていう気持ちがコップから溢れるときが来るのはわかっていて。そのときが来たら、「こういうことをしよう」って決めたいです。今はまだ、その時じゃないんだと思いますね。

-今は場づくりの仕事をしていますが、必ずしも場づくりをやるとも限らないと?

わださや:そうですね。もともと高知で場づくりがやりたくて、その経験を積むために転職したんですけど。東京に来て、いろんな世界を知って、場づくりじゃない可能性もたくさんあるなって気づいたんです。じゃあ、どういう方法で高知に関わりたいんだろうっていうことは、これからも広い世界をみるなかで見つけていきたいですね。子どもも生まれまれたし。

-子どもが生まれて、何か考え方に変化が?

わださや:子育てが始まると、どうしても時間が制約されるじゃないですか。愛する存在ができたときに、その存在に注ぐ以外の時間を使うのなら、その存在と同じかそれ以上に大切だと思えることじゃないとやれないと思うんです。

じゃあ、それはわたしにとってなんなんだろうって。まだ答えは出ていないけど、それを今まさに、考えているところです。

インタビューを終えて

アナウンサーでもコミュニティマネージャーでも、消防士でも農家でも。その肩書きはなんであれ、「聞くことができる人」がいます。その人にとって「聞くこと」は、呼吸をすることのように当たり前のことで、自分が「聞くことができる人」だとは気づいていないことも。だけど、その人の「聞くこと」によって、どれだけまわりの人が支えられていることか。

つよい主張や見栄えのいい言葉を扱える人が影響力を持つ世の中で、わださやさんのような「聞くことができる人」の存在の大切さを、僕らはもっと認識していいはず。そして、もしこの文章を読んでいるあなたが「聞くことができる人」であれば、その力が地域やコミュニティをきっと生きやすいものにしていくんだろうなと、取材を終えて感じています。

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