「自分はこう生きていいんだ」と気づく瞬間を、祝福したい。 沙門(見習い)・兼松佳宏の「beの肩書きを更新し続ける」生き方
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「自分はこう生きていいんだ」と気づく瞬間を、祝福したい。 沙門(見習い)・兼松佳宏の「beの肩書きを更新し続ける」生き方
沙門(見習い)兼松佳宏

ソーシャルバー・オーナー、空想繪本屋、コミュニティフリーランス、自炊料理家 etc…

これまでProffMagazineで紹介した人たちを振り返ってみても、実にさまざまな肩書きがあります。

独立行政法人「労働政策研究・研修機構」の調査によると、日本にある職種の数は約1万7000種類。ただ、冒頭で書いた肩書きのように、昨今では世の中にある肩書きではない、その人オリジナルの肩書きをつくる人も増えています。

某海賊漫画にならっていえば、世はまさに大海賊時代ならぬ、「大肩書き時代」。どんな肩書きを名乗ってもいい自由があるからこそ、自分で肩書きを考えなければいけない悩みも伴います。

そんな時代に、もしかしたら誰よりも「肩書き」について考えてきたかもしれないのが、「グリーンズの学校」の編集長などとして活動する兼松佳宏さん。兼松さんは『beの肩書き』の著者であり、これまで全国で約200回(オンライン含む)、のべ3,500人に対して「beの肩書きワークショップ」を開催してきました。

実はそんな兼松さんですが、これまで名乗ってきた「beの肩書き」を、あたらしいものにしたといいます。

兼松さんはどのようにして、肩書きを更新していったのか。そのプロセスは、私たちが自分の肩書きを考えるうえでのヒントになるはずです。

今回は兼松さんのインタビューから、私たちの「肩書き」について考えていきましょう。

「学びの場づくり」と「編集」に取り組む

-兼松さんとはときどき仕事などでご一緒させてもらってるんですが、今日はあらためて、キャリアについて聞かせてもらえたらと思ってます。

兼松さん(以下、兼松):ありがとうございます。実は、もうちょっと前にインタビューの相談を受けてたら、断ってたかもしれないです(笑)。

-え、なぜですか?

兼松:しばらく自分のなかで転機というか、キャリアについて言語化できてない状態だったんですよね。それが、本当にここ数日で言葉にできてきたので、とてもありがたいタイミングだなぁと。

取材はオンラインで行いました。

-そうだったんですね。その転機の話もじっくり聞かせてほしいんですが、まずは兼松さんの今の活動について聞かせてください。twitterのプロフィールをみると、「グリーンズの学校」編集長、「さとのば大学」副学長(仮)、「Nesto」「スタディ・リトリートのリズム」のホストと、たくさん肩書きがありますよね。それぞれどんな活動なんですか?

兼松:いろいろありますが、基本は「学びの場づくり」についてずっと考えている感じです。「グリーンズの学校」では「編集長」って名乗っているんですが、これまで培ってきた編集の経験と学びの場をつくることは、とても似ているなあと思っているんです。

メインの仕事は「グリーンズの学校」で、サステナビリティについて学ぶ「サステナビリティ・カレッジ」や、自分らしさを探究する「beカレッジ」など、いろんなクラスを企画したり、講師の方をサポートしたり、メディアと連携してシナジーを生み出すための仕組みづくりをしています。

-「さとのば大学」と「Nesto」での仕事はどのようなものなんでしょう?

兼松:「さとのば大学」は、地域を旅しながらオンラインでプロジェクトのつくり方を学ぶ、キャンパスを持たない学びの場です。僕は「副学長(仮)」と勝手に名乗って、講師として登場するだけでなく、カリキュラムづくりにも深く関わってます。

あと「Nesto」は、「みんなで暮らしのリズムを整える」 習慣化プラットフォームで。そのなかで「スタディ・リトリートのリズム」という、週3日、月曜日・水曜日・金曜日の朝5時半からの45分間、オンラインでつないでみんなで勉強する場を開いています。英語の「study」の語源は「情熱」なので、勉強といっても、そのときどきに「本当はやりたいと思っていたこと」をちょっと前にすすめてみるような、ゆるい時間です。これもひとつの、学びの場づくりの実験ですね。

-なるほど。ちなみに、「さとのば大学」の副学長っていう肩書きは「(仮)」なんですね?

兼松:はい。1年くらい前に、「いや、これは副学長くらいコミットしてる気がするぞ!」と思って、勝手に入れだしたんですが、発起人の信岡良亮くんをはじめ、誰も正式には認めてくれなくて(笑)。というのも、実際、学長という存在もいないんですよね。それなら、みんなが勝手に「保健室の先生(仮)」とか、「用具係(仮)」とか名乗ってもいいっじゃないかって。

あと、人ってそのときどきで、役割が変わるじゃないですか。家族のなかにいるときと、クライアントといるときと、生徒といるときと…

-「親」だったり「編集者」だったり「先生」だったり。

兼松:そうそう。だから、固定化された自分というものはないんですよね。仏教的にいえば、どの自分も仮に設けられたもの。だからZoomで会議するときも、表示される名前を「兼松佳宏(仮)」にすると、なんだか自分に奥行きが出てきておもしろい感じになるんです。

-なんか、いい意味で肩書きで遊んでる感じがありますね。

兼松:そうですね。言葉遊びの延長で、遊んでます(笑)。

 

「beの肩書き」とは

-兼松さんといえば、本にもなっている「beの肩書き」のことをご存知の方も多いと思います。あらためて「beの肩書き」ってどんなものなんですか?

兼松:「私はこんな人です」ということを表現するための肩書きです。いわゆる、一般的な肩書きってあるじゃないですか。さっき僕が話したみたいな、「編集長」とか「大学教員」とか。

-僕だったら「キャリアコンサルタント」とか「ライター」かな。

兼松:そうですそうです。そういう、「私はこんなことをしている人です」という、職種や所属などの紹介は「doの肩書き」。一方で、「私はこんな人です」と表明する肩書きのことを、「beの肩書き」って呼んでるんです。

「doの肩書き」と「beの肩書き」の関係は、海面と火山島であらわした図にするとわかりやすいかもしれません。

「doの肩書き」と「beの肩書き」の関係をあらわす「マウナケア・スケッチ」。上の線が海面だとして、「doの肩書き」は“島”にあたる。そして、地上から見えないながらもその下にある“マグマ“が「beの肩書き」だそう。「doの肩書き」は、マグマが吹き出して、たまたま海の上に出てきて島になったもの。その人の主要な一面でありながらも、全体からしてみたらほんの一部の表層にすぎない。

兼松:たとえば僕だったら、ちょっと前まで「勉強家」って名乗ってました。

兼松さんのちょっと前までの「マウナケア・スケッチ」。

-「beの肩書き」の考え方、すごくおもしろいですよね。僕も以前に「beの肩書きワークショップ」に参加させてもらったんですが、自分が普段名乗ってる肩書きって、島にあたる「doの肩書き」でしかなくて。その下にマグマのような「be」があるんだなぁ、と気づくことができました。でも、どうして兼松さんは「beの肩書き」に注目を?

兼松:僕、30歳くらいにとき、自分がよくわからなくなった時期があったんです。で、あるとき仲のよい友人に、「もう、自分はすべてのことに中途半端なんだよね…」っていう話をして。そしたら、「いや、YOSH(筆者註:兼松さんのあだ名)は『勉強家』じゃん!」って言われたんです。

-「勉強家」って、友人から言われたものだったんですね。

兼松:そうそう。「いろんなものに好奇心を持って探究してるから、それだけですごいじゃない!」って言われて、「あ、そうなんだ」って思って。それから、「勉強家」を名乗ってみるようにしたんですけど。

-最初は気楽な気持ちで。

兼松:はい。そしたら、結構みんな「『勉強家』って肩書き、おもしろいですね〜!」って、食いついてくれたんですよ。新聞記者さんが注目してくれて、密着取材を受けたりとかね。それで、「何がそんなにおもしろいんだろう?」って考えた結果、「なるほど、これは『be』を名乗っているからおもしろがられているんだ!」っていうことに気づいたんです。

-「be」っていうのは?

兼松:つまり、「何をしてるか」ではなくて「どんなあり方をしているか」ってことですね。ついつい「何をしてるか」、つまり「do」に目が行きがちじゃないですか。一方で、その下にある「be」については、語る機会はほとんどなくて。

-履歴書にも、基本的には「do」を書きますよね。

兼松:そうですよね。だからこそ、あいまいな「be」をしっかり言葉したことで、おもしろがってもらえたんでしょうね。ちょうど働き方改革が広まって、副業の解禁されたり、フリーランスになる人も増えたりといった時代の流れにも、「beの肩書き」の考え方はすごくはまったんです。

-それから、「beの肩書き」のワークショップを開発したわけですね。

兼松:そうです。関連しそうな本をたくさん読んだり、ワークショップを実践して得た知見をいかして、ワークショップを開発して、2018年には『beの肩書き』っていう本を出しました。それからは、全国津々浦々で「beの肩書きワークショップ」を開催して、多いときは3日に1度くらいはやってましたね。

-3日に1度! それはすごい。

兼松:あと、ワークショップの手法を一部公開してみたら、全国各地でカスタム版「beの肩書き」ワークショップが開催されるっていう、嬉しい広がりもあったんですよ。

書籍『beの肩書き』

 

あたらしい「beの肩書き」は、「沙門」(見習い)

 

兼松:でも僕最近、これまで名乗ってきた「勉強家」っていう自分の「beの肩書き」を名乗れなくなってきたんです。

-え! そうなんですか?

兼松:はい。以前は本当に勉強が大好きで、「自分が勉強さえできていればどんな仕事でもいい」と思ってたんだけど、最近はただ自分の好奇心を満たすような勉強にあまり興味がなくなってきたんです。本を読んでいないわけじゃないのに、なんだか「勉強家」と名乗ることに違和感を覚えてきて。「あ、これ、転機にあるなぁ」と。

-本を読んでないわけじゃないけど、勉強家とは名乗れない…っていうのはどういうことですか?

兼松:一番の変化は、まったく文章を書けなくなったことです。いまになってやっと言語化できたんですが、勉強家を名乗っていた頃の僕は、「こんなこと見つけたよ!面白いでしょ?」という、小さなエゴを満たすために本を読み漁っていたんだなって。

そういう自分を終わらせるために、最近では「勉強家」じゃなくて、「沙門(しゃもん)」という「beの肩書き」を名乗るようになったんです。

-しゃもん?

兼松:僕、空海が大好きで、ずっと追いかけ続けているんですね。空海って、中国に留学したときに「遍照金剛」という名号を与えられたり、「大僧都」という京都のお坊さん会でナンバーワンの肩書きに就いたりしているんです。

-今でいうと、東京のメガベンチャーのCEOみたいな?

兼松:あぁ、そう、かな?(笑)。だからもう、とにかく忙しかったはずなんですけど、ときどき高野山に籠って修行することを欠かさなかったらしいんですよ。高野山にいるときは、天皇から手紙が来ても、「ごめんなさい、気づかなかったので…」って、あとで謝る、みたいな。

-それだけ修行に集中してたんですね。

兼松:そんな空海なんですが、手紙を書くときの署名はいつも「沙門空海」と書いてたんですね。「沙門」の意味は、「いち修行僧」。つまりどんなに肩書きが立派になったとしても、変わらず、奢らず、「いち修行僧の空海です」って言い続けてたんです。僕はそのスタンスに共感していて。

-じゃあ、兼松さんも、「沙門」って名乗ることで「修業中の身ですよ」といいたいと?

兼松:はい。本当に仏門に入ったわけではありませんが、いつも初心でありたいなと。

 

エゴから、「自利利他」へ

2021年7月にスタートした「beカレッジ」(通称、ビーカレ)。

-でも、「勉強家」もある意味、学びを深めてくっていう意味で修行僧っぽいですよね。まだ「勉強家」と「沙門」の違いがあんまりピンときてないんですが…

兼松:3カ月前くらいから「沙門」という「beの肩書き」を名乗り始めたけど、自分自身も具体的に「沙門」がどんな存在なのか、掴めてなかったんですよね。それが、ここ最近やっと言葉になってきたんです。

-おお! どういう言葉に?

兼松:「沙門」って、基本的には「自利利他」を目指す人なんですよね。

-「自利利他」。

兼松:自利は、自分が修行して得た功徳をまず自分が受けとること。そして、利他とは、その功徳を他の人々の救済のために尽くすこと。自分のためと他者のため、その2つがイコールになっていることが、「自利利他」です。

僕が文章を書くことができなくなったのは、書くことが自分のエゴのためだったからなんです。「自分は何の専門家でもないから、せめて勉強して認めて欲しい!」っていうエゴ。

だけど、エゴのための文章じゃなくて、みんなのためになる文章だったら書けるなっていう。そのことに、一昨日ぐらいに気づかされて。

-一昨日ですか! それはすごくタイムリーですね。

兼松:はい。Nestoの「スタディ・リトリートのリズム」に参加してくれた方に、ぽろっと言われた一言がきっかけだったんです。実は僕、今年の春から夏にかけて、精神的に不安定な時期もあったんですよね。長野に引っ越してきたけれど、自分の居場所がない、みたいな。

そんなとき、その方が「こうして場を開いてくれること、いてくれることが素晴らしい」と勇気づけてくれて。そっか、自分にとっては当たり前でも、ただいることで貢献できることがあるんだなって。

もうひとり、別の方も『beの肩書き』の本を読んでくれたらしくて、「著者の人にコメントできるってすごくいいですね!」って、うれしそうに言ってくれて。その方と他愛ない会話をしていたなかで、僕のなかでいろんなことがつながってきて、「あ、本書きたい!」って思ってしまったんですよね。

-それまで自信を失っていたけれど、投げかけられた言葉を通じてなにか大きな気づきがあったんですね。

兼松:そうそう。なんか、「自分の奥底にあったマグマみたいなものが噴火した」みたいな感じで。で、その噴火っていうのを言葉にすると、「自分のために書くんじゃなくて、誰かの『発起』のためになるような文章を世に出すことは、沙門の大事な仕事じゃないか!」っていう想いが湧いてきた、っていうことだったと思うんですよ。

-「発起」っていうのは?

兼松:「発起人」っていう言葉がありますけど、「発心」と同じ意味で、「こう生きていこう」という決心をすることです。仏教ではこの「発起」、正式には「発菩提心」というんですがすごく大切にされているんです。それがなければ、道も開かれていかない、と。

僕、その人のなかで無意識的にセーブしてきたなにかが解放される瞬間が、すごく尊いなと思っていて。「自分はこうやって生きていいんだ」って気づく瞬間を、みんなで祝福することを、ただ続けていきたいんです。

-なるほどなぁ。勉強家と沙門も、なにかを学び、深める、という意味では同じ。だけど、沙門のほうは、自分と誰かの「発起」をつくる、っていうことが兼松さんのなかで違うのかもしれないですね。

兼松:そうですね。僕は「グリーンズの学校」でも「さとのば大学」でも「Nesto」でも、「発起」をつくる、っていうことをやっているのかもしれないです。

 

履歴書は、誰かと一緒につくるといい

-ProffMagazineではみなさんに「履歴書」について質問しているんですが、兼松さんは「履歴書」について思うことはありますか?

兼松:そうだなぁ。どうしてこれまでの、「いわゆる履歴書」みたいなテンプレートがひろく受け入れられてたんでしょうね。

「いわゆる履歴書」だと、過去の履歴が重視されるイメージがあります。だけど、過去にやってきたことだけを参照しても、表面的な仕事だけしか頼めないよなぁ、と思うんです。「兼松くんはデザインをやってきただろうから、デザインやってくれ」って言われて、「いや、もうデザインは辞めて、新しい仕事をしたくてここにいるのに…」って思う、みたいなね。

-たしかに。それこそ「beの肩書き」が履歴書に書かれていると、過去の履歴だけでは判断されなくなりそうですね。

兼松:そうそう。「be」はその人の奥底にあるマグマなので、その「be」が噴火するきっかけを与えると、その人にぴったりの「doの肩書き」が生まれていくんですよ。だから、一緒に仕事をする人に「beの肩書き」を知ってもらえてるのは大事ですよね。

-「beの肩書き」は「勉強家」な人が、「doの肩書き」は「編集者」でも「お笑い芸人」でもいいわけですもんね。

兼松:ぜんぜんいいですよね。

あとは、自分で履歴書の項目をつくるのも大事だと思います。履歴書にどんな項目を書くかに、その人の価値観が出るじゃないですか。「職歴」と「志望動機」と「資格」みたいな、みんなが書く項目だけだと、その人の価値観って伝わらないと思うので。

-でもやっぱり、自分で項目から考えるのはむずかしい作業です。

兼松:だからこそ、誰かと一緒に履歴書を書くのはアリなんだと思います。僕も最近、「グリーンズの学校」で開催したあるクラスで、「誰かと一緒に、自分のプロフをつくる」っていうワークをやりました。そうすると、自分では気づかなかった自分のことに気づけるんですよね。

空海は「三力」といって、「自分の力」も大事だけれど、「自分を支えてくる他者の力」、そしてそもそも私たちを存在させてくれている「宇宙の力」、その三つの力をいかすことが大事だと言っています。だから履歴書を書くときも、自分以外の力をうまく借りながら、小さなエゴを少しつづ溶かしていくように書くのがいいんじゃないかなって思うんですよね。

 

インタビューを終えて

兼松さんの話は、肩書きについてのいくつかの思い込みをときほぐしてくれるようでした。

肩書きは、ひとつだけのものである。
肩書きは、ひとりでつくるものである。
肩書きは、変えないほうがいい。

こうした思い込みから解放されて、自分の「beの肩書き」を、誰かとともにつくる。それは簡単ではないけれど、悩んだり迷ったりを経てたどり着いた「beの肩書き」が見つかる瞬間は、兼松さんが言う「発起」の瞬間なのかもしれません。

そして「履歴書を書く」ということは、「発起」につながる可能性を秘めている…
そう考えると、履歴書に対する向き合い方も、すこし変わっていきそうですね。

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